18世紀ロンドンの庭と植物

Longstaffe-Gowan, Todd. The London Town Garden 1700-1840. Yale University Press, 2001.
 
18世紀になると植物園・薬草園と個人の邸宅の境界があいまいになるケースが多数現れる。ロンドンの大都市に位置する個人の家に、植物園のような優れた庭を作ろうという動きが強まる。ロンドンの私宅や郊外や公園で発見された植物の収集、情報交換、栽培などが行われていた。1673年にはロンドンの薬種商たちが設立したチェルシー植物園が建てられて、都市と植物園の機能が重なりあう。18世紀には公園と植物園も融合して作られ、公園に植物を植えることが健康によいものだと考えられる。ここは日本の園芸と異なる点なのかもしれないが、水が空気に水分を与えて不健康な環境を作るからかもしれない。収集家としては Sir Hans Sloans の世界中からの植物の収集が著名であり、その中にはジャマイカのような海外の植民地から集められた動物だけでなく植物もあるし、友人の Adam Buddle がロンドンの近郊で発見したカエデの一種も集められている。このような庭園を個人の屋敷に作るためには、玄関は通りに直面し、屋敷の裏に庭があるという構造を取る。
 
これはスローンの収集物にある友人の聖職者であり植物研究者である Adam Buddle が収集した世界のチョウと、そのチョウが止まっていた樹木である。下はチェルシー植物園の歴史を語った本。Kindle だと688円ととてもお得で読みやすい。
 
 

f:id:akihitosuzuki:20181110203222j:plain

 

漢代雙鳥之鈴(笑)

f:id:akihitosuzuki:20181110094125j:plain

アフリカの彫刻と中国の古美術を少しだけ集めています。今年買うことができたのは、漢代の二羽の鳥の飾り。体内に鈴を持って音が響く細工です。具体的にはどのような機能を果たすものなのか古美術屋さんにもわからないとのことですが、漢代であることは間違いないとのこと。もしご見当がうきましたら教えてくださいませ。「漢代雙鳥之鈴」は実佳がつけた名前です。

集団心因性疾患 (Mass Psychogenic Illness, MPI) の論文メモ

集団心因性疾患についていくつかの短い論文を読んでメモ。これを 疾患 と呼ぶことはどうなっているんだろう。英語の illness を 疾患 と呼んでいいのだろうか。調べておこう。
 
Philen, RossanneM et al. "Mass Sociogenic Illness by Proxy: Parentally Reported Epidemic in an Elementary School." The Lancet, vol. 334, no. 8676, 1989, pp. 1372-1376, doi:10.1016/S0140-6736(89)91976-4.
 
1988年におきた mass sociogenic illness の小さな事件があり、それを調査して1989年に Lancet に掲載された報告。アメリカのジョージア州アトランタから50マイルほど離れた地域にある小学校で起きた mass sociogenic illness の現象である。9月の上旬にボーイスカウトか何かの打ち合わせで学校にやってきた母親たちが、自分の子供たちの体調が良くないということになる。学校側が暖房に必要な設備を整えるから、しかしまだ灯油を提供していないからであった。そこから学校の不手際と小学生たちの体調不調が大きくなる。そのため、11月の中旬、そして1989年の3月の中旬に空気をチェックする。飲用水のチェックもする。これらはどこにも悪いところはない。しかし、母親たちの不安は続き、小学生たちが母親が不安に思う体調不調を理由にして学校を休んだりする。usually it was the mother who complained most and received most attention.  人種に関しては、白人の77%に対して非白人の87%と非白人が多く、ジェンダーに関しては女子が多くなっている。
 
D'Argenio, Paolo et al. "An Outbreak of Vaccination Panic." Vaccine, vol. 14, no. 13, 1996, pp. 1289-1290,  doi:https://doi.org/10.1016/S0264-410X(96)00069-2.
 
Smith, Michael J. Ph.D.; Colligan, Michael J. Ph.D.; Hurrell, Joseph J. Jr. "Three Incidents of Industrial Mass  Psychogenic Illness." Journal of Occupational Medicine, vol. 20, no. 6, 1978, pp. 399-400.
 
500人ほどの電機工場でスイッチを作る仕事。2週間で3回の MPI があり、工場で臭いがする、頭痛、めまい、頭が軽い、弱気になる、眠れない、吐き気などが訴えられる。一回的なものである。訴えた患者の95%以上が女性であった。身体と環境のいずれも変化なし。総じて1) 教育の水準が低い、2) 家族で就職しているメンバーが少ない、3) 労働に関する要求が大きいためストレスが高くサポートもない、4) 作業場の照明と温度が適当でない、5) taking more sick days during an average month, 6) MMPIを使うとヒステリーとうつ病が多い
 
357人の工場、アルミ系の家具製作、29人(全員女性)からの似たような訴え。身体環境の異常はなし。同じ地域で仕事をした第二の27人のグループからも同じ訴え。世帯の唯一の収入であるという圧力、
 
168人の労働者の工場、魚類を包装する。33人の女性と2人の男性。身体環境はOKであったが、多くの女性が2年ほど前に工場で実際に起きた一酸化炭素に影響を受けた。
 
physical and psychological job stress and concomitant job strain.  It appears as though peer and supervisory relations are of particular importance as potential precipitation of pass psychogenic illness.
 
Clements, C. John. "Gardasil™ and Mass Psychogenic Illness." vol. 31, no. 4, 2007, pp. 387-387,  doi:doi:10.1111/j.1753-6405.2007.00101.x.
 

胎児の辰砂入り保存標本と人工的なガラスの眼球

f:id:akihitosuzuki:20181109173954j:plain

Boer, Lucas et al. "Frederik Ruysch (1638–1731): Historical Perspective and Contemporary Analysis of His  Teratological Legacy." Americal Journal of Medicial Genetics A, vol. 173, no. 1, 2017, pp. 16-41,  doi:doi:10.1002/ajmg.a.37663.
 
ルイシュは独自の解剖標本の保存液を発展させ、大規模な標本群を所蔵して人々に見せるようになっていた。しばらく前からそれを見ていたロシアのピョートル大帝が、1718年に購入を希望して1,500件ほどの標本群を買った。これはセント・ペテルスブルクに設立されたロシアの最初の博物館である The Peter the Great Museum of Anthropology and Ethnography (Kunstkamera) という博物館の原型を形成した。その後もきちんと管理され続けると同時に廃棄されたものもあり、現在では916件の標本がある。そのうち63件が胎児の状態で障碍とともに生命を失ったケースである。障碍での胎児の段階での死亡は、ルイシュの書物にもしばしば登場するが、理論や説明(explain) ではなく記述(description) であるという。死後に辰砂(ある種の水銀らしい)を含む保存液を注射したため、頬が赤くなっているという。うううむ。

ロシア・インフルエンザ(1889-90)の拡大の進路

f:id:akihitosuzuki:20181109143136j:plain

ロシア・インフルエンザは1889年に始まって1890年に流行が一応終わっている。20世紀には著名な3つのパンデミックがあり、スペイン・インフルエンザ (1918)、アジア・インフルエンザ (1957)、そして香港インフルエンザ (1968) であるが、その前のパンデミックであると言われており、いくつかの研究論文がある。Smith の議論も面白い。今回授業の準備で読んだのはヴァレロンの論文で、セント・ペテルスブルクからイギリスまでの流行地移動の地図も面白い。このように1889年冬から1890年春までに移動した。致死率 case fatality で言うと、1957年と1968年と同じくらいの0.1% から 0.3パーセントであり、1918年の約十分の一くらいである。ただ、これがスペイン・インフルエンザのようなまさに全世界へのインフルエンザではなく、基本はロシアからヨーロッパにという原理である。日本にも少し来たが、東京と神奈川(横浜)に限定されている。

Smith, F. B. "The Russian Influenza in the United Kingdom, 1889–1894." Social History of Medicine, vol. 8, no. 1, 1995, pp. 55-73, doi:10.1093/shm/8.1.55.
Valleron, Alain-Jacques et al. "Transmissibility and Geographic Spread of the 1889 Influenza Pandemic." Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, vol. 107, no. 19, 2010, pp. 8778-8781, PubMed, doi:10.1073/pnas.1000886107.

20世紀のヨーロッパと日本の戦争における残虐性について

f:id:akihitosuzuki:20181109074123j:plain

 

 
今日のEconomist Espresso におけるとても面白いグラフ。20世紀における戦争の死者を掲げたグラフであり、授業などで用いるのにとても便利である。基本は、20世紀の戦争における兵士と市民の死者数を、人口10万人あたり何人かの比率で示している。ジェノサイドやホロコーストは含めていない。
 
まずはヨーロッパが、兵士・市民を圧倒的に多数の割合で殺害してきたということ。理由はもちろん第一次世界大戦第二次世界大戦によるものである。このグラフは改めて見ると近現代のヨーロッパの残虐性をまざまざと示してくれる。次に、アジアがかなり強い割合でヨーロッパに次ぐ2位に入っていること。その最大の理由は1930年代に始まる第二次日中戦争であることである。この点も、当時の日本の残虐性を示している。
 
最後に、これは医学史研究者としての驚きである。「疾病での死者に比べて戦争での死者はそんなに少ないのか」というパターンは繰り返され、このことも言われてみたら知っていたはずだが、改めて新鮮な思いをすることの確認でもある。ヨーロッパ全体が二つの大戦で出す死者は、多い時ですら10万人あたり150人から200人くらいである。19世紀前半の結核の死亡率は、実はこれよりもはるかに高いし、結核の死亡率は国際的には低かった日本においても、兵士の死亡率は結核の死亡率よりもはるかに低い。いくつかの図をたしておきましたので、参考にしてください。
 
良いニュースは、ヨーロッパでも日本でも1950年以降の戦争による死者数は激減していることである。この事実が日本の改憲の議論にどうかかわるか分からないが、私はとても重要なポイントだと思う。
 

f:id:akihitosuzuki:20181109074250p:plain

f:id:akihitosuzuki:20181109074708j:plain

 

図版はいずれも次の論文から。 Holloway, K. L. et al. "Lessons from History of Socioeconomic Improvements: A New Approach to Treating Multi-Drug-Resistant Tuberculosis." Journal of Biosocial Science, vol. 46, no. 5, 2014, pp. 600-620, Cambridge Core, doi:10.1017/S0021932013000527.

 

 

ロシアの優生学の歴史の新刊・PDFだと無料です!

With and Without Galton: Vasilii Florinskii and the Fate of Eugenics in Russia - Open Book Publi

f:id:akihitosuzuki:20181108181840j:plain

優生学と言えばナチスドイツだけを取り出すパターンはだいぶ前に消えた。19世紀から現在まで、各国によって同じ優生学なり民族衛生の同じ言葉で大きく異なった形を取った理由を調べて、その上で近現代の本質を読もうとしている。Bashford, Alison and Philippa Levine. The Oxford Handbook of the History of Eugenics. Oxford University Press, 2010.は各国の優生学の歴史を丁寧に調べている。日本に関する記述は優れていると思う。

その中でロシアの優生学の展開についての新刊。著者はトロント大学のニコライ・クレメンソフ先生。クレメンソフ先生は、オクスフォード・ハンドブックでもロシアとソ連の項目を書いていて、彼が書いたロシアの優生学についての書物は読んでおかなければならない。PDFだと無料で手に入る。ぜひDLしてお読みください!