ヴィオラの世代交代

昨日は日吉で英語セミナーの仕事。若手の学者たちがしっかりとした研究をして、英語で水準が高い報告をして、コーネル大学のマカリ先生からも素晴らしいコメントが来た。

その疲れもあって、今日はゆっくりしていたら、ヴィオラの若い苗が花を咲かせ始めた。パンジーヴィオラは今は真冬の花になっていて、去年の10月ぐらいに、それに間に合うと思って蒔いた種。この成長に大変な時間がかかり、今になってやっと花が咲き出した。その時期くらいに苗で買ってきたものは、真冬にきれいに咲き、今は終盤戦である。これから、この種から育てたヴィオラが世代交代をして、6月くらいまで咲いてくれるのだろうか(笑)

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10月にタネをまいたヴィオラが、今咲き始めました(笑)

 

朝のキジの声と姿

今年の春はキジが目の前の田んぼで活躍している。そのあたりの空間いっぱいに響く囀り。田んぼの畑部分を楽しそうにつついている鳥です。囀るのはオスですが、メスはいるのかしら。家の庭では原種系のチューリップが鉢で咲いています。

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姿を見せたキジ

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畑で大活躍するキジ

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原種系のチューリップです。

 

日本の薬草園の地図

長崎大学. 出島のくすり. 九州大学出版会, 2000.

 

『出島のくすり』に便利な地図が掲載されていたので、1時間くらい掛けて写しておいた。江戸時代の1850年までに設立された幕府が経営する薬草園(赤い三角形)と諸藩が経営した薬草園(青い丸」)の一覧。全体で40ほどの薬草園があり、ここにさらに私立の薬草園が加わる。

 

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『出島のくすり』から写しました

 

 

 

 

 

日本の看護師向けの英語の教科書

実佳がこの4月から看護学校で非常勤で英語を教えることになった。実際問題として、医療のいくつもの重要な段階で英語が必要だろうと思う。それで、日本型に書かれた教科書とアメリカ型に書かれた教科書の二種類を読んでみて、かなりの違いがある。日本型の教科書と、アメリカ型の教科書の根本的な違いである。
 
日本人が書いた教科書は、看護婦が患者の側や社会の側の欠落を指摘して、正しい対応の仕方を教えるというパターンである。タバコを吸ったり、太りすぎを心配したりしている患者に英語で正しい方法を教えている。一方、アメリカ型は、成功した医者の回想の中で、自分の成功や同僚の成功などが語られ、患者にも楽観型の生き方を教えるという形で英語を教えようとしている。ペシミズムとオプティミズムの違いというだろうし、成果を生む厳しさといい加減な楽観主義という言い方もあるだろう。どちらがいいのか、私には分からない。二つを適切なバランスで交ぜることがいいのかもしれない。

ヒロ・ヒライ先生が編集した『ルネサンス・バロックのブックガイド』を頂きました!

ヒロ・ヒライ先生や多くの学者の皆様が執筆した『ルネッサンスバロックのブックガイド』を頂戴いたしました!重要な研究書を中心に、150冊の書物を紹介する優れた見取り図の書物です。私も、ここに挙げられている書物を読むことが青春でしたし、知らない書物も多くあります。どうもありがとうございます!

 

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美しい表紙の書物。また価格も2600円です!

 

国体と家族主義と発狂と精神病院の問題ー芥川龍之介「馬の脚」より

太宰, 治 et al. 獣. 汐文社, 2016. 文豪ノ怪談ジュニア・セレクション / 東雅夫編.
 
このアンソロジーが採った、1925年の芥川龍之介の「馬の脚」という短編が、非常に優れていてとても面白い。主人公は三菱商事で北京に駐在する社員。彼が一度死んで復活するという奇妙な経験である。その時に、中国と日本の官僚事務主義のために、彼の脚の代わりに馬の脚をつけて、この世に返す。そしてそれを隠していて、でもさまざまな苦労を記した日記などが組み合わされている。その中で、彼がとうとう馬になって姿を消してしまうという不思議な現象が起きる。この動物化は、爆発的にやってきて、ある日に、北京の会社と家庭の妻の空間から走り出して、彼は本当に消えてしまう。これに関し、「順天時報」という北京発行の日本人向け新聞の記者は、この失踪は主人公が発狂したせいで、馬の脚のせいではないと解釈する。そして、発狂するということを、家族主義を主人が裏切り、国体を裏切る行為であるとして責めるという流れである。
 
たまたま「青空文庫」も原文を採用しているので、その部分をメモしておく。
 
「三菱社員忍野半三郎氏は昨夕五時十五分、突然発狂したるが如く、常子夫人の止むるを聴きかず、単身いずこにか失踪したり。同仁病院長山井博士の説によれば、忍野氏は昨夏脳溢血を患い、三日間人事不省なりしより、爾来多少精神に異常を呈せるものならんと言う。また常子夫人の発見したる忍野氏の日記に徴するも、氏は常に奇怪なる恐迫観念を有したるが如し。然れども吾人の問わんと欲するは忍野氏の病名如何にあらず。常子夫人の夫たる忍野氏の責任如何にあり。
「それわが金甌無欠(きんおうむけつ)の国体は家族主義の上に立つものなり。家族主義の上に立つものとせば、一家の主人たる責任のいかに重大なるかは問うを待たず。この一家の主人にして妄に発狂する権利ありや否や? 吾人はかかる疑問の前に断乎として否と答うるものなり。試みに天下の夫にして発狂する権利を得たりとせよ。彼等はことごとく家族を後に、あるいは道塗に行吟し、あるいは山沢に逍遥し、あるいはまた精神病院裡りに飽食暖衣するの幸福を得べし。然れども世界に誇るべき二千年来の家族主義は土崩瓦解するを免れざるなり。語に曰、其罪を悪んで其人を悪まずと。吾人は素より忍野氏に酷ならんとするものにあらざるなり。然れども軽忽に発狂したる罪は鼓を鳴らして責めざるべからず。否、忍野氏の罪のみならんや。発狂禁止令を等閑に附せる歴代政府の失政をも天に替かわって責めざるべからず。」
 

書物だけから情報を取り込む博物誌

張華. 張華の博物誌. 小澤建一訳 ブイツーソリューション, 2013.
 
張華は232年に生まれ300年に没した。文人であり多くの書物を読んで収集していた。宗教と思想が興隆した時期であり、道教の不老不死の考え方や身体論が展開されている。儒教ではなく、テキストでいうと『荘子』『列子』『淮南子』などの老荘思想が重要な背景である。そのため、異境の人類や怪獣などを描く場合には『山海経』を中心に描かれており、腹に大きな穴が通じている人類や、奇形が標準という人類が中心になる。
 
訳者の小澤先生は、このような特徴を取り上げて、ギリシアの古典古代のアリストテレス『動物誌』やプリニウス『博物誌』と比較している。アリストテレスプリニウスの記述では、分類という概念によって整理され、ある体系性を保ってはいるが、張華の『博物誌』は、空想と現実存在の分別さえままならぬ、前分類の地点に留まって、自然史的知の世界を構築しているとも言える、という。
 
この書物は、膨大な書物に基づいて成立したという。書物が好きで、発見された蔵書が30台の車に載せる程あったという。それを「宮廷内の世界から外へと殆ど足を運ぶことなく、成立した」という。裏返すと、フィールドワークがなかったということである。現実の世界、地理、人々、自然、動物、植物に触れずに、高級な書物のコレクションの中から情報を収集することにした「博物誌」であるということである。
 
小さなメモ
 
方術と方士。古代中国で、卜筮(ぼくぜい)、医学、錬金術などの訓練と熟練を必要とする術を方術といい、それをマスターした人々のことを方士と言う。道教が成立すると、似たようなことをする人物を道士という。方士から道士への移行の時期としては晋代の時期だから、3世紀から5世紀である。卜筮は、中国語読みだと bu shi.  卜は亀甲を焼いて亀裂を起こし、それに基づいて予言すること。筮は、竹のようなものを一定の方法で並べて吉凶を占う術。易経が成立して、卜は衰退して筮が重要になった。