アイロニー・皮肉・骨格の概念

しばらく前に OED の今日の英単語で eiron という単語が出てきた。一度説明を読んで、少し調べてみたけれども、分からなさの水準が半端でなく、全然わからなかった。今日、少し丁寧に調べてみて、少し分かるようになったのでメモ。
 
Eiron はギリシアに起源があり、ギリシアの喜劇に登場するキャラクターである。その人物は謙遜、言語での控えめさ、そしてアイロニーの意味合いに敏感な人物である。このキャラクターに対比されて登場するのが Alazon というキャラクターで、彼は傲慢で威張りたがり屋で細かい部分には無頓着である。用例を見ると、両者の二元論で使われているとのこと。これはアリストファネスにも登場するし、アリストテレス『二コマコス倫理学』でも取り上げられている。アリストファネスは『蛙』がなかったけど、アリストテレス『二コマコス倫理学』では彼が批判する自己卑下的なキャラクターとして取り上げられている。分からない部分もあるが、だいたいは OK である。
 
問題は「アイロニー」という言葉である。irony という言葉は、もともとは eiron が起源であるが、どうやってアイロニーという言葉が持つ意味になるのか分からなくなってしまう。特に、もともと喜劇に登場する面白いキャラクターが、なぜアイロニーという概念になるのかが、五里霧中になってしまう。そこで、irony をWikipedia や Fowler を調べると、かなり分かる。基本的には、言語の表面的な意味と、その下に存在する意味が、同じでないことである。ソクラテスアイロニーを使うし、これが一番インパクトがあったのだが、エディプス王もアイロニーとなっている。そして、それを分かっている人物と分かっていない人物の二種類が存在していることを知っている人物が使うのが「アイロニー」である。ファウラーの定義は次のようなものである。
 
"Irony is a form of utterance that postulates a double audience, consisting of one party that hearing shall hear & shall not understand, & another party that, when more is meant than meets the ear, is aware both of that more & of the outsiders' incomprehension."  
 
アイロニー」の概念が分かる。それが二重性が分かっていないときに、喜劇的になり「エイロン」と結びつくこともわかる。
 
これを日本語に訳すときに「皮肉」と言葉がふさわしいかどうか、よく分からない。「皮肉」は、もちろん人体などの皮と肉の意味。そこから内部にもう一歩はいると、骨と髄である。「アイロニー」と何がどうつながるのかよく分からない。

永井荷風の東京の実家への「閉居」

永井荷風. 雨瀟瀟; 雪解. vol. 緑(31)-042-3, 岩波書店, 1987. 岩波文庫.
 
永井荷風は少ししか読んでいない。一連の売春婦との関係があり、『墨東奇譚』などに細かく書かれていて、多くの日本人が漠然とした敵意を持っているだろう。しかし、この佳作集を読んで、20世紀の若い男性の知識人たちに愛されているかが少しわかったし、少なくとも私の仕事の大きな助けになることが分かった。特に印象に残った作品は短編「監獄署の裏」である。「狐」が少年時代の家を思い出しているのに対し、「監獄署の裏」は、アメリカとフランスに遊学して帰ってきてすぐに書いた作品である。
 
一番印象に残るのは、自分の将来に対する父親との葛藤である。父親は、当時は30歳くらいの息子である永井に向かって、仕事は何をするのか、男子一個の名誉を保ち、国民の義務をまっとうすべきかと尋ねた。語学の教師、新聞記者、雑誌記者、芸術家、そのような仕事にはつくことができない。そして、父親に「世の中に何もする事はない。狂人(きちがい)か不具者(かたわもの)と思って、世間らしい望みを嘱してくれぬようにと」と答えた。それに対して父親が「新聞屋だの書記だの小使だのと、つまらん職業に我が児の名前を出されてはかえって一家の名誉に関する。家には幸い空間もある食物もある。黙って、おとなしく引っ込んでいてくれ」と話を決めたのである。
 
これは「閉居」であり、身のまわりの空気はたちまち話に聞く中世期の修道院(モナステール)の中もかくやとばかり、氷のごとく冷かに鏡の如く透明に沈静したという。
 
監獄署の裏
散柳窓夕栄
雨瀟瀟
雪解
寐顔
榎物語
ひかげの花
勲章
内容説明・目次
内容説明
ふらんす物語』の諸篇を除けば、帰朝後の第1作といえる『狐』(1909年)から、敗戦直後刊行された『勲章』(1946年)まで、それぞれの時期の佳品9篇を収める。幼年期に味わった体験…そして老年に至っての心境を作品化したこれらの短篇からも、孤独を求め寂寥に堪えつつ書きついだ強靭な作家の営為を窺い知ることができる。

世界各地の肥満の問題

エコノミストエスプレッソで肥満の問題が扱われている。この側面における日本の健康は OECDの中で一位である。意外なことは一位はメキシコ、二位がロシア、三位が合衆国、四位がブラジル、五位がサウジアラビアという形である。絶対当たらなかったな(笑)だから「タコス」を使った表題の意味がしばらく分からなかったです。

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タコという言葉とタコスという商標と蛸(たこ)という日本語。難しいです。

 

「異獣トンカツ」(笑)

www.economist.com

 
エコノミストの記事。日本で「移住婚活」が始まったという内容。秋田県が県の事業として東京などと秋田の間で婚活事業をしており、9年間で1,500件くらいの結婚を成功させている。一年に150件、二日に一件の移住婚活を成立させるのは、なかなかの力だと思う。秋田は美人が多いという伝説もあり、うまく行くのかもしれない。「結婚」が大きなビジネスとなり、地方政府の事業にもなっているという事実を、しっかり頭に入れておく。
 
「移住婚活」という日本語を聞いたことがないせいで、iju konkatsu という英単語を「異獣トンカツ」と読んでしまい、一瞬ですが大混乱しました。いえ、「異獣トンカツ」という言葉ももちろん聞いたことがないのですよ(笑)

『週刊読書人』に坂井建雄編『医学教育の歴史 古今と東西 』(2019) を書評しました

dokushojin.com

 

週刊読書人』の3309号(2019年10月3日)に、坂井建雄先生が編集された『医学教育の歴史 古今と東西』(2019) を書評しました。医学教育の歴史の全体を眺めた論文集です。構成は、古代から近現代の欧米、近世の日本、そして近現代の日本という形となっています。色々な意味で優れた論文が非常に多く、新しい医学史の多様性を感じることができます。論文集をぜひご覧になり、図書館などでご購入くださいませ。

日本語「カルテ」の巨大な衝撃

御前隆先生という医師が「D・ゲンゴスキー」という筆名で2006年の『医学界新聞』の連載した「教養としての医者語」という文章がある。日本の医師たちが使っているドイツ語崩れの日本語の話である。私には非常に面白いし、エクセルのファイルにせっせと入力している。

その中で、衝撃中の衝撃の情報。「カルテ」という日本語に関して巨大な衝撃を与えた情報である。「カルテ」という日本語は「医者が書く診療日誌」という意味を持つ。「この研究が用いた史料は症例誌、いわゆるカルテです」という文章を何度も使った医学史研究者は誰なのか、私にわざわざ教えてくださらなくても結構です。その文章には、ドイツ語の Karte は、医者が書く診療日誌という意味をもつドイツ語があり、それは die Karte であるという巨大な錯覚がある。それが大間違いに間違っている。ドイツ語の die Karte は、もちろん基本は card で、それにふさわしい札とかカードや地図などの意味を持っている。しかし、そこには医学記録の意味はいっさいない。どこかで日本人が「カルテ」という言葉に「診療録」の意味を与えているのである。ドイツ語 die Karte がどのような英訳ができるかの一覧だが、そこには医学のイの字もない。

m.interglot.com

 

新聞サーチをしてみると、1950年代から60年代にかけて、医学的な意味での「カルテ」という言葉が使われ始めている。いったい何があったのだろう。

屏風とコラージュの合体について

Prospect がスコットランド国立博物館で開催されているコラージュ展の評論をしている。話はピカソが描いた『食卓の上のボトルとグラス』を取り上げて、素晴らしいまとめをしている。空間と時間の中で成立する現実の世界と、絵画と彫刻が作り出す創造の世界、この二つの世界がどのような関係にあるかという問いかけということである。私の仕事では、絵画と彫刻の部分を「言語」と入れて症例誌を読んでいるので、ここで深い印象を持った。

あとはヨーロッパでは中世以来の伝統、19世紀の伝統、そしてピカソを含めた20世紀の革新などを論じている。

また、12世紀にはじまる日本の屏風のことにも触れている。19世紀の後半には著名なシェイクスピア役者が小説家のチャールズ・ディケンズとよく時間を過ごし、その中でイラストや写真などを用いて日本の屏風風のものを作っていることにも触れている。この話に関しては細かい部分が分からないが、そこで屏風が出てくることは驚きだった。なるほど、コラージュと屏風の一体化なのか。

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19世紀の屏風とコラージュによるシェイクスピア役者の活躍の記録。