永井荷風の東京の実家への「閉居」
「異獣トンカツ」(笑)
『週刊読書人』に坂井建雄編『医学教育の歴史 古今と東西 』(2019) を書評しました
『週刊読書人』の3309号(2019年10月3日)に、坂井建雄先生が編集された『医学教育の歴史 古今と東西』(2019) を書評しました。医学教育の歴史の全体を眺めた論文集です。構成は、古代から近現代の欧米、近世の日本、そして近現代の日本という形となっています。色々な意味で優れた論文が非常に多く、新しい医学史の多様性を感じることができます。論文集をぜひご覧になり、図書館などでご購入くださいませ。
日本語「カルテ」の巨大な衝撃
御前隆先生という医師が「D・ゲンゴスキー」という筆名で2006年の『医学界新聞』の連載した「教養としての医者語」という文章がある。日本の医師たちが使っているドイツ語崩れの日本語の話である。私には非常に面白いし、エクセルのファイルにせっせと入力している。
その中で、衝撃中の衝撃の情報。「カルテ」という日本語に関して巨大な衝撃を与えた情報である。「カルテ」という日本語は「医者が書く診療日誌」という意味を持つ。「この研究が用いた史料は症例誌、いわゆるカルテです」という文章を何度も使った医学史研究者は誰なのか、私にわざわざ教えてくださらなくても結構です。その文章には、ドイツ語の Karte は、医者が書く診療日誌という意味をもつドイツ語があり、それは die Karte であるという巨大な錯覚がある。それが大間違いに間違っている。ドイツ語の die Karte は、もちろん基本は card で、それにふさわしい札とかカードや地図などの意味を持っている。しかし、そこには医学記録の意味はいっさいない。どこかで日本人が「カルテ」という言葉に「診療録」の意味を与えているのである。ドイツ語 die Karte がどのような英訳ができるかの一覧だが、そこには医学のイの字もない。
新聞サーチをしてみると、1950年代から60年代にかけて、医学的な意味での「カルテ」という言葉が使われ始めている。いったい何があったのだろう。
屏風とコラージュの合体について
Prospect がスコットランドの国立博物館で開催されているコラージュ展の評論をしている。話はピカソが描いた『食卓の上のボトルとグラス』を取り上げて、素晴らしいまとめをしている。空間と時間の中で成立する現実の世界と、絵画と彫刻が作り出す創造の世界、この二つの世界がどのような関係にあるかという問いかけということである。私の仕事では、絵画と彫刻の部分を「言語」と入れて症例誌を読んでいるので、ここで深い印象を持った。
あとはヨーロッパでは中世以来の伝統、19世紀の伝統、そしてピカソを含めた20世紀の革新などを論じている。
また、12世紀にはじまる日本の屏風のことにも触れている。19世紀の後半には著名なシェイクスピア役者が小説家のチャールズ・ディケンズとよく時間を過ごし、その中でイラストや写真などを用いて日本の屏風風のものを作っていることにも触れている。この話に関しては細かい部分が分からないが、そこで屏風が出てくることは驚きだった。なるほど、コラージュと屏風の一体化なのか。