灯台のこと

土曜の朝の Economist Express はいつも楽しい記事が多い。オーストラリアのアーチストが破壊映像を収集していること、バットマンの古典的な悪役のジョーカーを主人公にした映画が出来たことなどなど。一つ記憶に残ったことが灯台の話である。これはニューヨークのハドソン川灯台の危機の話である。12メートルほどの小さな灯台で、きっとNYの市民たちにもいつの間にか愛されるようになったが、それが不要になって取り壊されそうになったので救ったという話。

灯台にはよく分からない愛着を持っている。これまで灯台を見たことがあるかと言われると、実は確かな記憶がない。アバディーン大学のポスドクの最終の面接を終えて時間が余ったときに、港の灯台に行ったのか、その灯台について語る海洋博物館に行ったのか、忘れてしまった。写真は美しいし、観た記憶があるような気がする。しかし、地図を見ると、少し遠い感覚がある。

英語では lighthouse というが、フランス語やイタリア語では pharos 系の単語である。これは古代の商業の中心であるエジプトのアレクサンドリアにあった灯台の名前である。ここで日本人が r と l を間違えると phallos という単語になり、ペニスという意味になる。日本人にとって灯台とペニスを間違えてはいけない。そう言われると、灯台と勃起したペニスは確かに似ているが、それは偶然だろうと私は思っている。もし違ったら教えてくださいな。

「醒めた日本の子にはラテンの血が欲しい」

日本野鳥の会の季刊誌 Toriino.  2019年の秋号が刊行された。音楽と民族性について藤原新也が書いていたので喜んでメモをしておく。
 
藤原新也は自分の姪の子供で、日本人とスペイン人のハーフを撮影する写真を載せていた。
 
異なった血を身内に持ってはじめて、血というものの違いを知ることになる。日本の子はまず頭で考えて行動をする傾向にあるが、スペインの血の入った子は体と頭が同時進行的で、「動物的な」要素がある。この身体は音楽と相性がよく、自然に体が動きはじめ、思ってもみない体の動きをする。これをラテン気質と呼び、ラテン気質の人間は彼女がそこにいるだけで周りが明るくなる。日本の子供は、そういう意味では醒めた民族であり、周囲と調子を合わせ、出過ぎないように心がける頭先行のきらいのある日本の子供は、どこかでラテンの気質を学ぶ必要があると考える昨今である。
 
大好きな写真家ですが、でも日本がかなり強くなったのはラグビーですね(笑)

ギリシアの身体と『アルゴナウティカ』のロボット

Apollonius, Rhodius and R. L. Hunter. Jason and the Golden Fleece : (the Argonautica). Oxford University  Press, 1998.
Apollonius, Rhodius and 宏 堀川. アルゴナウティカ. 京都大学学術出版会, 2019. 西洋古典叢書.
Mayor, Adrienne author. Gods and Robots : Myths, Machines, and Ancient Dreams of Technology.
 
一般教養の秋学期の歴史II.  ギリシア神話の想像力の世界には多くのロボットが登場するというストーリーから始めた。基本文献はマイヤーの Gods and Robots (2018) で、非常に面白かった。もちろんホメーロスの『イリアッド』でヘーパイストスがロボットを作る有名なシーンがある。それ以外にも、メデイア、ディーダロス、プロメテウスなどが登場するが、ロボットに一番近く、授業で取り上げたのは『アルゴナウティカ』に登場する青銅の巨人タロスである。
 
もともとアルゴナウティカという神話があり、各地にさまざまなヴァージョンがあると思うが、私がよく知っていたのはアポロニウスが250BCEの付近に語った叙事詩ヴァージョンである。この作品をもとにして作られた映画が1963年のアメリカ映画の傑作『ジェイソンとアルゴナウティカ』である。私が子供の頃には、この作品を含めて、ハリウッドのギリシア神話の映画化が盛んであり、TVの「月曜ロードショー」などでも盛んに放映されていた。この作品の英訳と日本語訳の1600行あたりを読むと、たしかにロボットそのもので、かなり驚いた。どうか、皆さま、お読みください。あと、私は映画に影響を受けている部分もあるのかもしれない。青銅の巨人タロスの映画化をご覧くださいませ。また、青銅の巨人タロスの模型もあります。ちょっと高いですけど、ぜひお買いください。
 
 

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4万円弱の青銅ロボットの模型。

ヨーロッパとアジアの気候の違い、ヒポクラテス「空気・水・場所」、ジャック・ル・ゴフ

ジャック・ル・ゴフ『子供たちに語るヨーロッパ史』という非常に優れた入門書がある。古代から21世紀までのヨーロッパの歴史を語った書物である。日本語訳は出ていて、ついでに「子供たちに語る中世」もついている。
 
そこでル・ゴフはヒポクラテス文書を使ってヨーロッパ人とアジア人の区別をはっきり語る部分がある。素材はヒポクラテス文書の「空気、水、場所」である。各地の空気と水の違いから文化の違いにも触れるという、環境医学的な議論のおそらく最初のまとまった議論である。その中でヨーロッパ人とアジア人の文化や政治について、気候の違いから論じている部分がある。
 
ル・ゴフの文章については英訳がないので、日本語かフランス語のセリフを英語に訳してみよう。日本語はこのようになっている。
 
ヒポクラテスは気候が持つ影響との関連で、荒々しいが自由を重んじるヨーロッパ人と、平和を愛し、戦争よりも技芸に興味を持つけれども、たやすく暴君や専制君主に従属してしまうアジア人とを対比しています」
Hippocrate a aussi, en fonction de l'imfluence des climats, oppose les Europeens, selon lui agressifs mais tre epris de leberte, aux Asiatiques, pacifiques et s'interessant plus aux arts qu'a la guerre mais acceptant facilement de se soumettre a des tyrans, de despotes.  
 
ヒポクラテスの Airs, waters, places でいうと23節である。医学史の基本のセットで、ヨーロッパとアジアの対比でいい授業ができる部分だと思います。

筆記用具と製図用品への愛情

 
 
 
My Modern Net から送られてきたサイトと、そのもとのサイトが素晴しい。私が筆記用具に弱いということをどうして知ったのだろう(笑)筆記用具というか製図用品である。小さいころは製図用品が大好きだったし、大学生になってGKインダストリアルというデザイン会社で科学史展示のアルバイトをしていた。キッコーマンの醤油の瓶のデザインで有名な会社である。大人になっても万年筆やシャーペンが大好きだったし、娘の誕生日にも120色の色鉛筆などをプレゼントしたりしていた。そういう商品に熱中した人物には、このサイトで売っている商品を買わないことが難しい。ドイツの製品になると、また良いんだろうなと思う。
 
しかし、私にとっては「筆記用具や製図用品に熱中した時代が昔にあった」と過去形でいうのがより正確だろう。最近の人生で、色々な影響の重層があって、筆記用具と製図用品の時代が終わりつつある。筆記のほとんどがPCのキーボードであるし、製図用品に向かう機会などほとんどない。うううむ。

井伏鱒二の幻覚

井伏, 鱒二. 荻窪風土記. 新潮社, 1982.

1933年の2月から3月にかけて、井伏は巣鴨の病院に隔離された。(おそらく駒込病院であろうが、これは調べなくてはならない)しょう紅熱ではないかという恐れである。風邪気味なので医者に見てもらってしょう紅熱かもしれないと言われ、家には子供もいたし、妻が薬局で薬を調剤してもらって家庭医学の赤本を見て入院させることにした。最終的にはしょう紅熱ではなかったが、そこで最初に一時的な妄想を見る。

 「寝床に仰向けになると、天井が素通しのガラス板で、その上が二回の部屋ー図書館のカタログ室のようにケースが並び、一人の洋装の女がカードを繰っている光景が見える。天井が素通しだから、その女性を真下から逆さまに見ることにある。女の履いている靴も真裏から見える。靴は新式のハイヒールだから、動きも軽々としてすっきりした感じである。
 カタログを繰る女性は、ヒトラー総統の女秘書だとわかった。真下から見るので美人かどうかわからないが、脇目も振らず一新に指先を動かしている。その繰り続けている動きがふと途切れ、カタログの抽出から一枚のカードが床に落ちた。それを真下から見るわけだ。人名簿か処方箋かであったろう」

向田邦子『あ・うん』と精神疾患患者の見知らぬ隣戸への侵入

精神疾患の患者と家族と隣戸の対応について。私宅監置ではなく、その10倍ほどの数がいる非監置の場合である。

地方部においては、わりと自由に村の中を歩き周り、人の家にふらふらと入って行った例も記録されている。18世紀から19世紀のイギリスにおいてもあてはまるけど、これはもう一度チェックしてみよう。都市部においては、症例誌に断片的な言及はあるが、詳しい話は、そのことを書こうとした作文や小説の方が豊かである。東京の貧しい地帯においては、狂人がふらふらと入ってきて、きつねつきだとか、くずれた嫉妬のような感情を見せる事例は、豊田正子という綴方の天才が1930年代に複数回書いている。

中産階級でいうと、やはり言及はある。向田邦子の『あ・うん』の小説に、中産階級の家庭でこのような事態が起きた例が載っている。小会社の社長と会社員がいる友人同士で、家族と一緒に東京の山手地帯に住み、家賃は30円である。そこに、見知らぬ男が入ってきて「俺の嬶」を探すという場面。家の人物たちはきょとんとしたり、警察官のように尋問したり、キチガイだろうと頭を指さしたりするという場面である。