ビルマの軍医

 4月上旬の学会の準備を大急ぎしなければならない。5年ほど前に、日本の南洋医学についてあるコンファレンスで話してみないかというお誘いがあって、またいつもの悪い癖でうかうかと引き受けてしまったことがある。このコンファレンス自体が流れてしまったので、お蔵入りになってしまったリサーチがあって、そのファイルを引っ張り出して、昭和17年とか18年の南洋医学についての景気の良い話を並べた資料を読んでいる。

 その関係で、1981年に出版された『ビルマ軍医日記』を読む。著者の鹿野幸彦は、1914年生まれ、金沢医科大学を卒業して、大阪の阪南病院の外科に勤務していたが、1944年6月に召集され、ビルマ戦線に従軍。部隊の壊滅と敗走を生き延びて終戦を迎えて1946年に復員。その体験を、終戦後の収容所で思い出しつつ日記形式でつづったのが本書である。厳密な意味での日記ではない。

 南方医学について欲しかったような記述はなかったが、しかし、その欠如があまりに多くを物語っている。一言で言って目を覆うほど水準が低い軍陣医療である。専門家には常識なのだろうが、普通の外科医を何の訓練も準備もなく、ビルマの最前線に送り込むことからして、私には驚きだった。マラリアの予防なんてとんでもない話で、軍医自身マラリアで始終発熱しながら、キニーネを毎朝服用して抑えている。兵士たちは、マラリアはもちろん、アメーバ赤痢などによる下痢がひどい。イギリス軍の反攻が始まると、部隊は部落から部落へと逃げまどいながら敗走するだけ。医者は診断したくても顕微鏡がないし、治療したくても薬はキニーネしかない。(キニーネは、あったんだ!)木を焼いて炭にして薬らしいものを作って兵士や「土民」にのませたという。(それでも丸薬は与えたんだ!) 

 戦争神経症らしいトピックも時々登場するが、この軍医はそんな病気にかまっている能力も暇もなかっただろう。我が物顔に爆撃と機銃掃射を繰り返す敵機の来襲のあと「メッサーシュミットが急降下する音は恐怖感で人を発狂させるという新聞記事を読んだ」と記すくらいである。第一次世界大戦時に、戦争神経症が「発見」されたというとき、戦争の破壊力、特に兵器の殺傷力が強調されることが多い。でも、この資料を読むと、第一次大戦時の軍陣医療体制は堅固だったからこそ新しい病気を発見する能力があった、という印象すら受ける。

文献は鹿野幸彦『ビルマ軍医日記』(東京:叢文社、1981)。
いま、大学のOPACで文献情報を確認したら、別の著者による『軍医のビルマ日記』という書物もある。なんだろう?