気候と人体(1)

 オーストラリアの気候馴化をめぐる言説を研究した論文を読む。

 南方医学プロジェクトの一環で、ウォリック・アンダーソンの論文を読む。アンダーソンは、私がファンの医学史家の一人で、どの論文もクリアで切れが良い。この論文も例外ではない。

 オーストラリアの医学は、19世紀の後半と20世紀の前半の間に、白人の気候馴化の可能性に対する態度を大きく変えた。具体的には、熱帯・亜熱帯地方である北部オーストラリアへの殖民である。かつての気候・環境決定主義のパラダイムにおいては、熱帯に移民した白人は、現地の環境とそれが決める病気に体質が馴れていないので、繁栄できないと考えられていた。北部で砂糖のプランテーションが始まったときも、労働力が安価だったことも手伝って、熱帯出身の太平洋の島民(カナカ)が雇用された。カナカの死亡率は極めて高かったにもかかわらず、「熱帯の殖民は熱帯出身」の信念は崩れなかった。1904年に白人オーストラリア主義を確立した「太平洋島民労働者法」が発布されて、太平洋島民の新たな労働移民が禁止され、現在定住しているものは強制移住された後も、医者たちはしばらくの間はこの政策を批判し、白人は熱帯で労働できないと主張した。これが変わるのは、新たに登場した「実験室の医学」が、病原体としての細菌や原虫を発見し、気候や環境そのものではなく、それに依存する病原生物が、熱帯の不健康の原因であると主張したことが契機であった。新たな実験室医学は、古い環境決定論を否定し、リムーヴァブルな病原体に焦点を移した。その結果、白人を阻んでいた熱帯は、科学の助けがあれば、白人の殖民が可能な土地となったのである。医学は、オーストラリアという空間を白人の入植を待っているものとして描きなおしたのである。

 この論文はクリアに書かれているだけに、非常に批判しやすい。その意味で「良い論文」の典型だろう。このモデルのオールタナティヴを出すだけで、論文が一本書ける。簡単に言うと、感染症への過度の注目である。私が見ている資料は、実験室の医学の強調という点では一緒だが、感染症研究ではなくて、生理学と人体計測学が、1940年代日本の南方への気候順化の言説の鍵を握っていることを、明らかに示している。 

文献は Anderson, Warwick, “Geography, Race and Nation: Remapping ‘Tropical’ Australia, 1890-1930”, Nicolaas Rupke, ed., Medical Geography in Historical Perspective, Medical History, Supplement No.20(2000), 146-162.