痙攣療法のパイオニアの自伝

 正確にはなんと読むのか分からないが、ラディスラス・メドゥーナ(Ladislas H. Meduna, 1896-1964) はショック療法のパイオニアの一人である。1934年に最初は樟脳を、後にメトラゾールを用いて分裂病の患者に痙攣を起こさせ、遺伝性で治療が不可能だと思われていた分裂病が治療可能であることを示した。ハンガリーで生まれ、ブダペストの医学校で学び、同大学の脳研究所で研究をした。 そこで神経学を身につけた後、同大学の精神科に移り、そこで行った研究が実を結んだのがメトラゾール痙攣療法である。分裂病の遺伝性を信じている研究室の教授に破門され、ハンガリーの精神医学界で村八分になっていたこともあり、1939年に戦争と政治的な混乱を逃れてアメリカに移住してそこで没する。

 メドゥーナには、かなり長い手書きの回想録があって、その手稿が編集されて雑誌上に出版されている。この手のものは、とにかく読んでおかなければならない。痙攣療法の発見自体は、彼の神経学者としての側面が強く出ている。分裂病患者と癲癇の患者の、死後の脳の状態の違いから、二つの病気が「対立する」ものであることを推測し、癲癇の痙攣を起こすと分裂病が治るのではないか、という推論の道筋は、非常に神経学的である。しかし、これが「なぜ効くのか」ということを説明するときには、彼は精神医学者、あるいは感情の生理学者になって、心身相関医学を駆使する そのあたりがとても面白い。この資料は、きっと、もっと深くリサーチに入ってから読みなおすと、「あっ!」という発見がありそうな予感がする。 

名言を一つ。メドゥーナが最初に脳研究所の助手に選ばれたときに教授に言われた quotableな言葉である。 「自分が関係していることを、人が公には認めない二つの職業がある。一つは売春婦。もう一つは精神科医」。

文献はMeduna, Ladislas J., “Autobiography of L.J. Meduna”, edited with introduction by Max Fink, Convulsive Therapy, 1(1985), 43-57, 121-135, 136-138.