<振り子の比喩>を超えて

 平均寿命だとか乳児死亡率だとか、そういった指標は、健康転換が始まって以来、ほぼ例外なく改善し続けてきた。「革命」を経たあと、だいたいリニアなトレンドを描く。精神医療の歴史はそれとは全く違う。進歩の歴史ではない。将来のことは分からないが、少なくとも、今まではそうではなかった。目の付け所によって色々な言い方があって、「サイクル」であったり「振り子」であったりするが、とにかくリニアなトレンドを描くという前提がない。

 その中で、「身体学派」と「精神学派」の振り子という比喩がある。生涯の事件の記憶と内的葛藤が病因論の中心を占め、心理療法を主たる治療法とする後者と、生物化学的な原因論を信じ身体的な療法を主とする前者の間で、精神医学は振り子のように振れている、という比喩である。この比喩が不十分であることを論じたのが、サドウスキーの論文である。植民地精神医学のパイオニア的な優れた書物を発表している研究者だが、いつアメリカの身体療法にトピックを変えたのだろうか。彼とは、一緒に仕事をするチャンスがあったのだが、アイデアを交換することはできなかった。

 この「振り子の比喩」を突き詰めて考えた上で信じている真面目な医学史研究者はおそらく一人もいないので、何もそう目くじらを立てなくても、という気もするが、サドウスキーは面白いことも言っている。一言で言うと、1940年代から50年代にかけての心理学派の代表であった精神分析系の医者たちは、身体学派の治療の典型である電気ショック療法に、興味と理解を示した、ということである。痙攣療法は超自我の代替になっているとか、患者は罪の意識からマゾヒスティックに電気ショックを求めるとか、精神分析の装置で読み替えたうえで受容していた、というのである。エドワード・ショーターの『精神医学の歴史』が描くような、ECTは精神分析の理論の根本を否定するから、フロイト派・心理主義的な医者たちはECTを認めなかった、という事態は事実と大きく違っていた、ということである。ショーターのナラティヴが事実と大きく違うということも、何となく予想はしていたことだけれども。より大きな問題は、それにも係わらず、ショーターの本は、近代精神医学の一番優れた通史であることだと思う。 

文献はSadowsky, Jonathan, “Beyond the Metaphor of the Pendulum: Electroconvulsive Therapy, Psychoanalysis, and the Styles of American Psychiatry”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 61(2005), 1-25.