戦前の「精神薄弱」論争

必要があって、日本における精神薄弱概念の歴史を研究した書物を読む。文献は、高橋智・清水寛『城戸幡太郎と日本の障害者教育科学-障害児教育における「近代化」と「現代化」の歴史的位相』(東京:多賀出版、1998)特に3章が精神医学者も参加した1930年代の精神薄弱論争を分析している。

1)1880年代から近代的国家としての体裁を整えるために臣民の義務や刑法民法の責任能力・処分能力を持ち得ない欠格条項の対象者を確定する。
2)1910-20 心理学が人材配置の効率化・能率化をめざすなかで知能検査法を開発
3)1920-30精神医学が総力戦・戦時動員の国策である精神病者撲滅のための優生学をとなえる

精神薄弱において「生活能力」「社会協力」という概念が新たに発見され、個人と社会生活、環境との相関関係において社会生活の適応性としての精神薄弱概念が現れる。これは、それまで知能の量化を試み、知能測定法によって精神薄弱児を選別できると考えていた心理学者(たとえば青木誠四郎)に対する「城戸学派」らの反撃という形で始まった。たとえば松澤病院の奥田三郎は、精神薄弱の「生活能力」論を展開させる。それは、生活年齢が17・18歳を境にして、多くの精神薄弱児が作業への意思を急増させ、作業能力が急速に増大する。この現象は、ただ精神薄弱を知能テストの結果で測っているのでは説明できない。知能にとってかわるべく精神薄弱の新たな基準が「生活能力」である。そして、これは、個人に内在する力そのものではなく、社会との関係の中で発揮される力であるから、社会の側にもそれを発揮させる要因があることになる。だとしたら、個人を変えて生活能力を引き出すだけでなく、社会を変えて生活能力を高めることもできるではないか。外部環境、生活場面の整備調整によって自己定位をすすめ、生活能力を発達させることが目標である。奥田はここで、傷痍軍人と身体障害になぞらえて精神薄弱を理解している。傷痍軍人に義手を使わせて個人の力を回復させようとするのが個人的治療法、手が不自由でもできるような仕事を紹介してやるのが社会的治療法である。

これと似たような議論は、のちの精神薄弱論争で、同じ東大精神科出身の杉田直樹が展開している。東大-松沢の一部では定着していた考えであるといってよい。というか、もともと、近代の精神医学は manie sans delire をとなえたピネルから始まっているといってよい。精神医学者たちは、心理学者たちが知能テストに夢中になっているのをみて、さぞかし困惑していたのだろうと思う。