戦時神経症の治療と国民国家の壁(1)
櫻井図南男は戦時神経症について『軍医団雑誌』に連載した論文の中で、治療について非常に興味深いことを述べている。神経症の治療は通常の疾病の治療と違い、個々の症例に適合した治療手段があるというより、総合的なものである。この「総合的なもの」の中には櫻井が「政策的」と呼ぶ方法も入っており、退院・除隊の問題、補償・恩給・一時賜金の問題、ひいては徴兵制と国民国家における軍役の意味にもかかわる問題を考慮して、医者と患者の間で完結する狭義の精神医療の場を超えて、軍と国家の制度とそれによってはぐくまれる社会・文化の広い脈絡で戦時神経症の治療を捉えて行ったものであった。
このことが最も鮮明になるのは、恩給・賜金と神経症の問題を論じるときである。神経症と年金・補償の問題の関係については、欧米では既に長い研究の蓄積があった。鉄道事故の後遺症としての神経症(「鉄道脊髄」)、労働災害のあとの神経症、そして第一次世界大戦の欧米諸国の戦争神経症(「シェルショック」)などの治療の研究から、事故とその後遺症に対する年金補償が神経症の強力な背景となり、<自分の病気をなんとかしてもらいたい、相手の責任を追及する願望、具体的には恩給や年金や補償についての「要償願望」を処理することが神経症の治療に重要である>という合意が形成されていた。その処理の方法として「一時金解雇」が最も有効であるという合意もされていた(ように櫻井は書いている)。患者が満足する金額を与え、そして本人を解雇するという方法である。これによって患者の要償願望は満たされ、責任対象とみなされている企業との関係は断絶する。この「断絶」がポイントであり、年金のような形であって責任対象との関係が継続すると治療しない。欧米各国のデータが、一時金解雇の方式が圧倒的に有効であることを示しているし、日本の鉄道省の昭和13年の報告書も、櫻井の師である九大教授の下田光造の論文も一時金解雇が有効であるとのべている。
櫻井が戦時神経症の治療を始めた時に、この一時金解雇の方式を適用しようとした。これは、一時賜金を与えて退院させるということで、表面的には実行可能に見えるが、現実にはこの方式が機能しない。患者と軍の関係が断絶されないような制度であり、社会の仕組みであり、国民のあり方であったのである。すなわち、退院させて除役されても傷痍軍人として患者は常に再入院が可能であること、恩給に対して常に再策定を要求できること、広範な傷痍軍人援護施設が存在すること、つまり神経症の基盤である保証制度がはりめぐらされており、たとえ除役されても医療や恩給の交渉が保証されている制度になっているのである。だから、<患者は終生陸軍と精神的に交渉を断つことができない。たとえ服役が永久に免除されたとしても、解雇になったのとは意味が全く違う>と櫻井は絶望的に語る。
櫻井が直面したのは、技術的には恩給と傷痍軍人への補償の問題であり、その根本は近代国家における軍役の意味という大きな問題であった。国民に徴兵が課せられている限り、傷痍軍人に対するケアは国家の基本的な義務であり、それを要求する権利を継続的に持たせなければならない。通常の企業のように、一時金を渡して断絶できる関係とは異質な関係が、兵士・軍人と国家の間には存在していた。国家からは「解雇」することができないし関係を断絶することができないのである。
櫻井は一時金解雇の方法を遣えないことを理解すると一時は絶望して治療をあきらめる。しかし、同じ制度を逆に使った「返し技」で戦時神経症を治療する方法があることを知る(続)