フランス革命と内面性の発見

フランス革命後の中道保守の哲学者が作り上げてフランスの高等学校のカリキュラムに張り巡らした「内面性の哲学」の研究書を読む。文献はGoldstein, Jan, Post-Revolutionary Self: Politics and Psyche in France 1750-1850 (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 2005).

 ゴールドシュタインはシカゴ大学の歴史の先生で、19世紀の前半にエスキロールとその弟子たちによって精神医学者という専門家集団が形成されるさまを描いた傑作、Console and Classify (1987)で名高い研究者である。彼女が20年ぶりに書き下ろしを出版したので、大いに期待して読んだ。

 期待を裏切らないどころか、前作をはるかにしのぐ傑作だった。話のコアは単純である。ヴィクトール・クーザンの自己の思想・内面性の工学の社会史といってよい。クーザンは哲学史の中ではマイナーな位置づけしか与えられていないが、彼の思想の社会的重要性を洗い出してスリリングな社会的実践としての側面を明らかにしている。クーザンは、革命前の進歩思想であったコンディヤックらの感覚主義の受動的で断片的な精神概念(白紙の心が感覚刺激を受け取ることが精神の基本的なモデル)を批判して、より能動的で統一的な自己の内面性を中心に据える。革命とその後の混乱を安定させる保守思想の中核として「自己」が据えられる部分の分析がまず冴える。そして、この自己を探求する内省が、クーザン自身が教育行政家として確立させたフランスの教育制度に取り込まれ、エリートが受けるリセでの教育の頂点に自我心理学が据えられたことを論じる。さらにクーザンがエコール・ノルマルで教えた学生たちを高校の哲学教師として送り込み、フランスのエリートとなるリセの生徒たちに自己哲学の実践を教えたこと(自己のテクノロジー)が分析される。こういった知的・政治的・制度的な枠組みを通じて、探求の対象であり社会生活の基盤であるフランスの男性エリートたちが意識し陶冶する対象として自己が作られた過程を論じている。