『未来のイヴ』

 ずっと前に買った本を出張中のホテルで読む。ヴィリエ・ド・リラダン未来のイヴ』齋藤磯雄訳(東京:東京創元社、1996)。 かなり前のことになるけど hitomidonさんがブログで取り上げられていた作品。

 ストーリーは比較的な簡単。ある若いイギリス貴族が完璧な美を持つ女性と恋に落ちる。その美しさはさながらヴィーナスの彫像のよう。しかし、すぐに彼女はもっとも卑しい心の持ち主であることを男は知る。恋心を断ち切れぬ彼は自殺しようと思いつめるが、発明家のエディソンに事情を説明する。話を聞いたエディソンは、くだんの女性と寸分たがわぬ美しさを持ち、しかもその美しさにふさわしい心を持つ人造人間を作ろうと申し出る。逡巡の挙句にこれに同意した青年貴族は、約束の三週間が過ぎた後、完成した人造人間に引き合わされ、その人造人間と恋に落ちるという話である。

 話は単純だが、汲み尽せぬ豊かさを持ったテキスト。まず、無粋な話で申し訳ないが、当時(出版は1886年)の科学技術、特に医学、生理学、化学、電気学へのレファレンスが膨大にある。この作品に丁寧に医学史・科学史的な注をつけるだけで、博士論文を一本書くことができるだろう。これだけ魅力的な作品で、しかも欧米での科学史研究の圧倒的な充実を考えると、すでにそういう博士論文があっても驚かないけど。今日聞いた話では、ハーヴァードでは科学史の博士課程の学生むけの奨学金だけで一年に12人分確保してあるそうだから。

 科学史系の話で私が一番面白かったのは、くだんの卑しい心を持つ美人を評して、エディソンが「してみると、この女にとって美しさというものは象皮病のような病的な畸形だったのだ」といって、美しさと畸形を同一視する視点を提示するところである。天才も病的な畸形・変質の一つであるというのは、低人さんが好きなロンブローゾの変質説で、こちらは精神の偉大さと畸形を同一視する話である。傑出した肉体の美が病的畸形の一種であると喝破するのは、作者リラダンの独創的なひねり・パロディなのか、それとも先例があるのか。いずれにせよ、変質論の意義を論じるときに、あまり考えられていないけど注目に値する部分である。

 科学史を離れたところでは、私はこの恋愛小説に関して(いや、多分どの恋愛小説に関しても)、中学生か高校生の感想文以上のことを能く言わない。人造人間がいよいよ完成して、主人公がこの人造人間との恋に身を投じようと決心するまでのくだりが、一番はらはらして読んだ。主人公が人造人間の恋と論理(理屈っぽいん女なんだ、こいつが・・・笑)を受け入れて、この二人の恋が成就するように祈るような気持ちで読み進めていた(笑)。

 検索すると、この作品を熱狂的に論じているSF系のブログやHPはたくさんあるが、モダン・プロメテウス(『フランケンシュタイン』)やモダン・ピグマリオン(『マイ・フェア・レディ』)に較べると、『未来のイヴ』は映画化もされていないし、一般的な知名度は少し低いかもしれない。人造人間を成立させるくだりの技術的な説明や、それが持つ形而上学的な意義についてのエディソンの演説が、読者に冗長だと感じさせるかもしれない。(私は、そこを本気で読み出すと、小説モードではなくて研究モードになってしまうので、いい加減に読み飛ばしたけど・・・笑)。それを除けば、私たちの意識にもっと広く深い影響を与えてしかるべき問題「理想の人間を人工的に作ることの意味」を扱った、古典になりうる傑作だと思う。