「待ち」の医学と「ずぶの素人」

「確かこの本にこういうことが書いてあった」というおぼろげな記憶をたぐって本を開いてみて、それが見つかると嬉しい。探していたことだけでなく、意外なことが書いているともっと嬉しい。文献はアーサー・ヤング『フランス紀行 1787, 1788, 1789』宮崎洋訳(東京:法政大学出版局、1983)

 フランスの農業を視察して各地を回り、イギリスと較べたコメントを数多く残したアーサー・ヤングの紀行文はフランス史や経済史の研究者にはとても有名なテキストだろう。この訳書を頂いてなんとなく目を通したときに、農業とも経済とも革命とも何の関係もないけど、面白いことが書かれていた記憶があって、ある人とこの本の話が出たので引っ張り出して該当箇所を探しながら流し読みをしているうちに、昔は気がつかなかったことが書いてあるのに気がついた。

 1787年の9月、ラ・ロシュフーコー伯爵がトゥールで熱を出したときに、当地の名医が呼ばれ、薬をほんの少ししか使わずに、自然のままにしておくことが肝要だという治療をして治った。その医者は大いに名声を博したという。そこでヤングが記している台詞が面白い。

「名医と藪医者の間には大きな違いがあるが、名医とずぶの素人の間にはたいした違いはないといったのは誰だっただろう。」

 この台詞が誰のものかはわからないが、医学史の教科書風に言うと、この一節は「待ちの医学」expectant medicine を唱えている。当時の考えによれば名医はやぶ医者のようにむやみに薬で人体に介入せず、人間の自然治癒力を信じるというわけである。こういうことが書いてあることはいまから10年近く前に読んだときにも理解できた。

 昔は気がつかなかったけれども、今回この部分を探して読みなおして、え?と思ったことがある。この一節は、ヤングの時代なり、この格言めいたものが作られた時代には、「名医」だけでなく、「すぶの素人」も自然治癒力を信じているかのように振舞ったという風に読めないだろうか? 「放っておけばなおる」→「大騒ぎしていかがわしい薬を使う」→「洗練された自然治癒力の信頼」の順に、結局もとに戻る、ということだろうか。