必要があって、19世紀の気候順化運動についての論文を読む。文献は、Dunlap, Thomas R., “Remaking the Land: the Acclimatization Movement and Anglo Ideas of Nature”, Journal of World History, 8(1997), 303-319.
オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカは、クロスビーが言うところの「ネオ・ヨーロッパ」、あるいは別の学者によれば「定住者による植民地」である。これらの地域では、ヨーロッパ出身の移民が、現地の原住民を圧倒して、ヨーロッパ人が大多数である社会を作り上げた。その点で、アフリカやインドのように、少数のEu人が圧倒的多数の現地人を支配していた「帝国の植民地」とはちがう。「定住者による植民地」は、最初は生活必需品であるEuの植物(小麦)や家畜などを導入していたが、19世紀の半ばになると、美的理由、あるいはスポーツハンティングの目的のために、動植物を導入することが始められる。これは、Au と NZで盛んであり、北米では振るわなかった。Au, NZには、ウサギ、ヒバリ、キツネ、シカなど、2ダース近くの鳥類、4ダース近くの哺乳類が導入されたのに対して、北米では、ホシツグミ、スズメ、キジなどが導入されただけであった。
まず、これを導入したのは、海外にイギリスの自然環境を作り上げよう - 「ニュー・イングランド」を作り上げるためには、イギリスの動植物が必要であったからである。そして、北米と南半球の違いは、この運動が起きたタイミングと、それぞれの土地のフォーナとフローラの双方から説明できる。北米には、すでに動植物がたくさんいたが、南半球には少なく、また、奇妙な動物ばかりいたということがあげられる。そして、南半球にイギリス人が移民したときには、すでに自然史熱が高まっていた。1787年に出版されたホワイトの『セルボーン』は、急速な都市化を経験しているイギリス人にとって、変わらぬ故郷の変わらぬ自然を親密に描いた著作であった。Au や Nz に移民したイギリス人は、故郷の自然を懐かしむ文化をすでに吸収して、南半球に移住してきた。新しい土地では、哺乳類がフクロを持っているだとか、果ては卵を産むだとか、故郷の動物との同一視を厳しく拒絶する動植物ばかりであった。イギリスでは地主の象徴であり紳士のたしなみであったハンティングをしたくても、カンガルー狩りでは気分が出なかった。そこには、気高くたたずむシカが「必要」であった。一方、北米は、19世紀の半ばには、すでに現地生まれのエリートも多く、独自の狩猟文化を持っており、現地の動植物が「故郷」の風景の一部になり、現地にはシカもいたし、現地の動物で狩猟気分を味わうこともできた。
しかし、AuやNZの動物導入運動は、19世紀の末には退潮した。定着できなかった動植物も多かったし、また、増えすぎて抜き差しならない状況になる動物も出てきた。ウサギは害獣の代表となった。