キツネとネズミとペスト

必要があって、安田喜憲『文明の環境史観』(東京:中央公論社、2004)を読む。 これも一般向けの本だけれども、理論的な導入の部分は、少し前に読んだ、明らかに一般向けに水準を下げた書物よりもはるかに良かった。「主体と環境のあり方は対立的ではなく、循環的・相互作用的であり、自然と人間を一つの有機的全体として歴史を動かしている」というまとめは簡潔で好ましい。ただ、これに、最近の京都のインテリの特徴なのか、日本特殊主義が入ってきて、西洋の人間中心の歴史観と、東洋の風土に培われた円環的な史観が違うとか言われると、正しいとか正しくないということ以前に、何を言っているのかよくわからない。

日本にペストがなかったのはなぜかということを論じた部分もあって、これは、私が考えた問題そのものだから、身構えて読んだ。立論は不正確だけれども、キツネに着目したのは環境史ならではの発想でとても面白い。安田のペストについての議論は、14世紀のヨーロッパで黒死病が流行した理由として、12世紀以来進んだ開墾、特に森の伐採によって、森に住む肉食性の動物(特にキツネ)が減少して、ネズミを食べる動物がいなくなり、ネズミが増えたからであるとしている。それに対して、日本の稲作と里山においては森が重要で、キツネの住処は守られ、それどころか里山に下りてくるキツネは山の神の使いとされたという。このキツネがペストを広がらせるネズミを食べていたから、日本はペストから守られたという議論の流れである。そのコロラリーとして、7世紀のいわゆるユスティニアヌスのペストのときにペストが地中海沿岸にとどまったのは、森(とその中にいる動物)が障壁になって、ネズミ―ペストの複合体が地中海世界から北上するのが妨げられたからであるとしている。

ここで議論の基礎に置かれている事実の把握のほとんどはあいまいで、中にははっきりと不正確なものもある。ユスティニアヌスのペストはドイツどころかイギリスにまで到達したことが現在では知られている。しかし、ユスティニアヌスの時代には地中海沿岸に濃密だった被害が、14世紀にはヨーロッパの北にまで広がったという重要なポイントは突いている。それが、7世紀にはまだ存在した森とキツネのおかげだという議論は、面白いかもしれない。そうか、里山でネズミを食べるキツネか・・・ それは考えていなかったな。ただ、ペストは、ネズミが野原を疾走して隣の村に伝えるわけではなく、そこはネズミなりノミなりが、船や車などの人間の輸送手段で運ばれるのだから、より重要な問題は、里山よりも、港町のキツネだろうな。