日本のペストの議論が固まってきた。インスピレーションを求めて色々な地域のペストの文献を読んでいて、20世紀のジャワ島のペストの論文を読む。文献はHull, Terence, “Plague in Java”, in Norman G. Owen ed., Death and Disease in Southeast Asia: Explorations in Social, Medical and Demographic History (Singapore: Oxford Universiy Press, 1987), 210-234.
20世紀のぺストのパンデミーにおいて、当時オランダ領だったジャワ島のぺストの被害は大きかった。1910年から39年までの間で公式の死者が215,000人。日本の100倍近い数である。1910年にビルマからスラバヤに輸入した米に紛れ込んでいたネズミがペストに感染していたものと考えられる。
ジャワのペストが面白いのは、侵入は港町からだったが、それ以降は内陸を伝播したことである。ジャワのペストは30年ほどかかって東から西へとゆっくりと移動したが、1910年代前半のマラン、20年代前半のケドゥ平野、30年代前半のプリアンガン(という地名が現在の地図で実は発見できなかったけど・・・)と、大きな流行があった地域は港町というよりむしろ内陸である。日本のペストはこれと正反対だった。神戸、大阪、東京、横浜、四日市といった大きな開港地や、和歌山の湯浅町、淡路島の由良町などの小さな港町に限定されていた。
画像はジャワのペストの伝播を図にしたもの。どうも美的センスがある図が描けない・・・