雲南の生態環境史とペスト、それから人面瘡

 しばらく前にいただいた書物を読む。文献は上田信『東ユーラシアの生態環境史』(東京:山川書店、2006)

 雲南西北部のチベット族の住まいに行くと供される「バター茶」の味覚からはじまって、雲南を中心にして異なった生態環境の間で交易される商品(茶、塩、銅)の交易を論じた書物。一杯のお茶とその味覚から壮大なスケールの話が始まるあたり、『失われた時を求めて』を思わせる。プルーストの大作と違ってこの書物はコンパクトな小品だけれども。あ、それから、バター茶には塩が入っているので、塩からいミルクティー風だそうである。

 特に面白かったことを二つ。ひとつはやはりペスト。雲南省はぺストの第三回のパンデミーの発祥地として名高い。地域のげっ歯類に常在していたペストが、銅山の開発を契機にして1772年から1820年代まで流行する。銅山の開発で荒れた山野から野生動物が里に降りてきたせいか、それとも増加した労働者が山野に分けいったせいなのか。いずれにしても生態系の擾乱によるものであるというのが確からしい。ついでに中国文化の優美な病気の文学を紹介すると、1793年の詩は次のように一幅の絵のように美しい言葉でペストを描写している。

「東にネズミの死骸、西にもネズミの死骸。人は死骸を見ると虎に出会ったかのよう。ネズミが死んで何日も立たないうちに、人が大地に呑まれたかのように死にはじめる。昼に死ぬものは数え切れず、日の光も薄暗く、愁雲が立ちこめる。三人が道を行けば、十歩も歩かぬうちに二人が倒れて道をふさぐ。夜に死ぬものは泣き叫びもせず、疫鬼が気をはき、明かりが青白くゆれる」(雲南通史、文芸志、天愚集)

 もうひとつは、チベット族は地元では育たない茶を、地元の生態で育つ麝香、鹿耳、夏虫冬草(ある種のキノコ)、そして貝母といった薬材と交換していたそうだ。このリストはグローバルビジネスを支えた、軽くて少量で高価な薬の役割を雄弁に語っているが、それより、「貝母」だって・・・!! 先日人面瘡についてのとても面白いお話を伺ったのだけれども、人面瘡の口に入れると苦しがって眉をひそめ、ついには瘡が消滅するという「いわれ」が、「本草綱目」で紹介されているバイモは、はるばるチベットから取り寄せた代物だったの?私の庭にもフリッティラリアが植えてあるので、つい身近な球根を想像してしまっていて、人面瘡ができたら試してみようと密かに思っていたんですけど。