現代生命科学の思想

 出張の飛行機の中で、現代の生命科学の思想史を読む。文献は Evelyn Fox Keller, Refiguring Life: Metaphors of Twentieth-Century Biology (New York: Comumbia University Press, 1995)

 現代の生命科学思想は、医学史の周辺の中でも、私が特別弱い分野である。はっきり言って、そこらの中学生以上の知識は何もありません(笑)。これから特に強くなろうという大それた野心や毛頭ないけれども、イロハのイくらいは知っておいたほうがいいとずっと思っていた。入門に最適とどこかに書いてあったこともあったし、翻訳もたくさんあって名前もよく聞いていたケラーの本を飛行機の中で読んだ。コロンビア大学の批評理論研究所 (Critical Theory Institute) での講演をまとめたモノグラフ。同じシリーズには、デリダとかリオタールとかサイードとか、現代思想の錚々たる論客たちが並んでいる。彼らと肩を伍する講演ができる科学史家はそんなに多くないだろう。

 三つの講演が収録されている。ひとつは遺伝子が生物を「決定する」とはどういう意味なのかを、モーガンの時代からワトソン=クリックを経て現代までを考察した概念史。二つ目はシュレディンガーの『生命とは何か』で使われている概念を、マクスウェルの悪魔に絡めて分析したもの。三つ目は戦後の情報科学、システム論と生物学の相互の関係。どれも面白かったけど、最初の講演が一番本格的で読み応えがあった。モーガンたちは、遺伝子が何であるかというのを知る以前から、これは生物を決定する「アクション」を行う何かであるというシンプルな因果モデルを確信し、受精以降が重要だと考える発生学のパラダイムを脅かしていたという。