発疹チフスの文明史

 必要があって、疾病の歴史の古典、ジンサーの『ネズミ・シラミ・文明-伝染病の歴史的伝記』(東京:みすず書房、1966)を読み返す。「読み返す」といっても、だいぶ前に読んだときにはこの手の問題に興味がなかったせいか、まったく内容が掴めておらず、新しく読むのとほとんど変わりなかった。こういう本が多いのだろうなと思って、悄然とする。

 一流の細菌学者が書いた発疹チフスの歴史の古典。過去の膨大な文献を渉猟し、当時の診断が不安定なときには遡及的診断を行い、情報の断片を析出して大きな構図を描く、古き良き時代の疾病史の傑作のひとつ。ジンサーによれば、発疹チフスはまずオリエントで定着し、後期中世からヨーロッパに北上する動きをみせ、15-16世紀に本格的にヨーロッパに侵入する。1489-90年のスペインのグラナダ、1505年に始まる、ナポリやローマなどのイタリア都市、そして1542年のハンガリーバルカン半島が、初期の確定されている流行である。これらはいずれも、ヨーロッパが北アフリカからトルコ・中近東にまたがって存在した文明圏と接触している地域における軍事行動にともなう流行であったという共通点を持っている。いったんヨーロッパに侵入した後は、宗教戦争と17世紀の危機の社会的混乱に乗じて、各地で定着した。

 ジンサーがこの書物を最初に出版したのは1934年。先日取り上げたド・クレイフが『微生物の狩人』を出版したのが1926年だが、「微生物狩り」のメタファーが強固な時代であった。ド・クレイフを読んだかどうかは定かでないが、ジンサーは以下のように書いている。

「[細菌学は]ある程度の興奮を必要と感じる人々のために依然として残されている、数少ない冒険的事業のひとつなのだ。伝染病はこの世に残されている数少ない本当の意味での冒険の一つなのである。」

 細菌学者は危険に満ちた土地で冒険をするマッチョなハンターだというジェンダー化されたコロニアルなアイデンティティが透けて見えるけれども、日本の細菌学者たちには、どうもこのイメージがしっくりこない。北里柴三郎野口英世は、わりと当てはまるような気がするが、志賀潔がマッチョな冒険者というのは、ご冗談でしょう(笑)