初期アメリカの麻疹

 必要があって、初期アメリカの麻疹の流行についての論文を読む。文献はCaufield, Ernest, “Early Measles Epidemics in America”, Yale Journal of Biology and Medicine, 15(1942), 531-556.

 麻疹は疫学にとってのモデル疾患である。その高い感染性と、単純な感染と免疫のメカニズムゆえに、実際のデータと数学モデルがとてもよくフィットする。医学史研究者や疾病地理学の研究者たちの間でも麻疹の流行のデータを利用することが始まっているが、もっと着目されて良い。

 この論文は、死亡記録や日記や新聞記事などから、17世紀から19世紀のアメリカ東海岸における麻疹の流行状況を丹念に再構成した、価値が高い論文である。これまで知らなかった不明を激しく恥じる。麻疹の歴史の研究者(笑)を興奮させる事実に満ちているが、一番面白いのは、ボストンを例にとった、流行のインターヴァルの短縮である。17世紀には30年、26年の間隔で流行があったが、1729年の流行のあとはほぼ10年の間隔で4回の流行が、18世紀の後半から1820年代にかけては5-7年間隔になり、1820年代からは3-4年間隔になっている。この要因としては、ヨーロッパからアメリカに船で渡るのにかかる時間が短縮されたことと、航海する便が増えたことの二つの要因で、大西洋を渡る船の中で麻疹が感染の連鎖を保ったままアメリカに上陸する可能性が高くなったことがまず上げられる。さらに、アメリカの港町における人口の増加によって、航海を生き延びた麻疹ウィルスが、港町で感染の連鎖を確立する可能性が高くなったことにもよる。感染症の伝播のボトルネックである「航海中のサバイバル」と「初期定着」で説明されていて、その通り!と意を強くする。

 なお、麻疹がボストンで常在するようになった時期を、この著者は19世紀の前半と考えている。この時期のボストンの人口は5万人から8万人程度だというのに。少し前の、バートレットの常在の閾値(20万人から30万人)を機械的に信じていた私ならば、「少なすぎないか・・・?」と首をかしげるところだけれども、人口百万人の江戸で麻疹が常在していない確信を得てからは、何が起きても驚かなくなった。人口100万の日本の都市で常在せず、10万に満たないアメリカの都市で常在できる。麻疹研究は奥が深い。