学校閉鎖が今回のコロナウィルスの感染にどのような影響を及ぼすか。もちろん非常に難しい問いですが、医学史研究者としては、かなりの貢献があると思います。詳しくは Akihito Suzuki, "Measles and the spatio-temporal structure of modern Japan", Economic History Review, vol.62, issue 4, 828-826をご覧ください。
麻疹は、1890年代までの日本においては、15年から30年に一回くらい、全国に広がる大流行があるというパターンでした。天然痘が奈良時代に日本に襲い掛かったようなものだとお考え下さい。これは、当時のイギリスにはないパターンでした。2年か3年に一回の割合で小流行があり、患者は乳幼児ばかりであるというように移行していました。そして、日本のデータは、当時の疫学の大きなパラダイムに反した現象でもあります。それまでは、多くの研究者たちが、人口が20万人くらいの都市になると、感染症が常在して、数年に一回の割合で小さな流行があるというパターンに移行するだろうと考えて居ました。しかし、日本では、江戸、大阪、京都などの人口は、いずれも20万人という数字を超えているのに、いつまでたっても大流行のパターンであり、私たちが「常在」と呼ぶような流行ではありませんでした。
これが、1880年くらいに変化が生み出されて、東京と大阪では、1890年には常在をはじめます。1910年からは2年に一回の大きな流行があるきれいなグラフを描きます。1920年代には周囲の小都市や県が同じリズムになります。江戸時代にはどうしても常在化できなかった麻疹が、明治期から常在化されるようになるわけです。
これはなぜか。私は、日本が明治維新とともに小学校を導入したからであろうという仮説を提出しました。一方、ヨーロッパの各国においては、毎週日曜日に教会に行くという行動に基づいていた環境でした。これと似た環境をつくる小学校が、日本の麻疹の流行を常在化させただろうと考えます。