黄熱病とカリブ海の砂糖プランテーション - イミュノ・ヒストリー03

Goodyear, J. D. (1978). "The sugar connection: a new perspective on the history of yellow fever." Bull Hist Med 52(1): 5-21.

 

ヨーロッパとアフリカからなる「旧大陸」とアメリカの「新大陸」の間に感染症の交換があったことを「コロンブスの交換」と言慣わしている。アメリカからヨーロッパには梅毒がもたらされたと言われており、これは議論があるところで、私が知る限りではまだ決着はついていないが、アメリカと接触した直後からヨーロッパと世界で梅毒が爆発的な流行が始まったのは確かである。それに対して、旧大陸から新大陸への伝播は確実で、天然痘を筆頭に麻疹、インフルエンザなどの急性感染症がアメリカにもたらされて、それらの感染症に免疫を持っていない新大陸の住民をなぎ倒したことはよく知られている。コロンブスの到着以前には4000万人から7000万人いたと推定されているアメリカの原住民は、17世紀の半ばには十分の一にまで激減したといわれている。

 

この図式では、旧大陸から新大陸への伝播において、天然痘や麻疹などの人から人へと直接伝わる感染症が問題になっていること、ヨーロッパに着目しておりもう一つの重要なプレイヤーであるアフリカの問題が取り扱われていないことが問題である。この二つの欠陥を補う形で、媒介動物をもつ感染症に着目すると同時に、アフリカからの移民の問題を中心に置いて旧大陸からの感染症の伝播とそれがアメリカの形成に与えた影響をさぐる歴史研究もおこなわれてきた。媒介動物に着目すると視点が環境に向かってより広い脈絡で歴史をとらえることができるし、アフリカに着目することで、16世紀から19世紀中葉まで約1000万人輸入されたと言われる奴隷の問題と現在のアフリカ系アメリカ人の問題を射程に入れることができるからである。この特徴を持つ歴史学の中で、私が読んだ範囲では、大きな著作は、J.R. マクニールの『蚊の帝国』(2010)である。このマクニールは、『疫病と世界史』などの著作で著名なウィリアム・マクニールのご子息であるとのこと。著作は以下の通り。主として軍のパフォーマンスと政治史をアメリカの疾病の構造から見た素晴らしい内容である。

McNeill, J. R. (2010). Mosquito empires : ecology and war in the Greater Caribbean, 1620-1914. Cambridge, Cambridge University Press.

 

このマクニールの著作の基盤になっている、カリブ海域の黄熱病とアメリカ、特にカリブ海域の砂糖のプランテーションの関係を論じたグッドイヤーの論文も読んでおいた。一見すると地味な内容だが、砂糖のプランテーションと黄熱病の関係を論じる中で、蚊の行動と砂糖栽培・精製地の生態学的な特徴も抑えて、カリブ海域を超えて北米の港における黄熱病にも着目した信頼できる議論である。

 

議論のコアは美しいほど単純である。黄熱病を媒介する蚊であるネッタイシマカ (Aedes aegypti)が、血液だけでなく糖分を多く含む液体も好んで食するという事実と、砂糖の栽培・精製などにかかわるプランテーションが作られ、それが輸出入のために港に運ばれるようになるとそのプランテーションや港で黄熱病の大流行が起きているという事実が指摘されている。もともとネッタイシマカは果実や花の蜜などの糖分を含む甘い液体が大好きで、野生ではそのようなものも食べていること。砂糖のプランテーションと精製の過程では、どの段階でも甘い液体が大量に発生するということ。そのようなプランテーションが作られると、そのすぐ後に黄熱病のが起きていること。たとえばグアドループでは1640年代の初頭に砂糖プランテーションが始まって1648年に黄熱病の流行があり、バルバドスでは同様に1640年にプランテーションがはじまって1647年に黄熱病の流行があり、その他にユカタンキューバでも同じパターンが見られること。アメリカの大西洋沿岸の港や都市でも、ボルティモアフィラデルフィアに砂糖関連の中継基地などができると黄熱病の流行があるというパターンが見られること。