ユスティニアヌス期のペスト

1347年にはじまるヨーロッパのペスト大流行、いわゆる「黒死病」をペストの<第二次>パンデミーというのは、もちろん第一次があるからである。その第一次のパンデミーが6世紀の「ユスティニアヌス期のペスト」と呼ばれているものである。東ローマ帝国の皇帝のユスティニアヌスの治世のもとで流行したので、Justinian Plague と呼ばれている。地中海沿岸にひろがり、とくに、541年から42年にかけてコンスタンティノープルで大流行した。同時代の年代記によれば、一日に5000人の死者をだし、流行の最盛期には一日に10,000人に達したという。これまでこのブログで、黒死病については皆さんがうんざりするほど沢山の記事を書いたけれども(笑)、ユスティニアヌス期のペストについては一度も触れたことがないと思う。それは、知っていたけれどももったいぶって書かなかったわけではなくて、これまで、なにかきちんとしたものを読んだことが一度もないからである。

今回、このペストについても、ちょっと調べなければならないことになった。このペストについての有名な同時代の記録は、プロコピウスの『ユスティニアヌスの戦記』で、第二巻の22章・23章の二章をさいて、とてもくわしく流行の様子や社会の混乱などが述べられている。この英訳をネット上(グーテンベルク)で読むことができる。(・・・つくづく、便利な時代になったなあ。)ペストはエジプトからやってきたこと、近親者を捨てて逃げ出したということよりも、看護しあったことなどが書いてあって、これはトゥキディデスに次ぐ疫病の記録の古典になることが納得できる。ペリクレスも斃れたアテーナイの疫病に較べて「凄惨」な印象がないのは、キリスト教の影響なのかな。