インスピレーションを求めて、エンハンスメントの研究書を読む。文献は、Parens, Erik, ed., Enhancing Human Traits: Ethical and Social Implications (Washington DC: Georgetown University Press, 1998).
大東亜共栄圏建設論が華やかなりしころ、日本人が熱帯に移住すると発汗を通じて気候に順応する能力が高まるという学説が唱えられた。この説の主導者は、名古屋帝国大学の教授でノーベル賞候補に二回なったことがある、久野寧という生理学者である。この問題をめぐる論文を書いていて、これは現代のバイオエシックスの言葉でいうエンハンスメントと何が違うんだろうと思いついてしまったというのが、この書物を読むことになった経緯である。
直接のヒントはなかったけれども、面白かった。13本の論文が集められていて、主な素材は抗うつ剤を飲んで「幸福」になることは正当なのかという問題や、美容整形をうけることは、どんな場合に正当なのかという問題を議論している。この本自体はゆっくり吟味して読めなかったけれども、ひとつ、何が「正常なのか」という議論なんだというところに気がついたのが収穫。熱帯に移住すると、熱帯人の新陳代謝と体温調節の能力が「正常」になるが、実験生理学者である久野は、いともやすやすと、熱帯人こそが正常だと考えている。それに対して、多くの論者や葉、それは(優れた)日本民族の特徴を失うことであるという、民族から出発していて、それが論争の焦点になっている。有名なカンギレーム以来の問題を考えているのだということに気がつくのに、エンハンスメントの本を読んで遠回りしなければならなかったのが、もどかしいところだけれども。
それとは別に、この本は、美容整形と抗うつに関して、かんどころをつかむのに、とてもいい本だと思う。美容整形して美人コンテストに優勝することがなぜ「フェア」でないと感じるのか(感じない人もいるかもしれないけれども)、そのあたりを、いちいち説明してくれる、分析哲学系のまわりくどさ、わたしは結構好きです(笑)