黒死病と公衆衛生

古くからの友人と話していて、ポーター先生が原稿を仕上げるのが早かった理由の一つとして、全体の構図を決めてしまって、ある部分は書いておくからかもしれないという話が出た。試しにある原稿の構図と書いた部分を書いてみた。

 

 

1 ペストという感染症
2 14世紀の黒死病
3 キリスト教と公衆衛生
4 17世紀のクライマックス
5 ヨーロッパにおけるペスト流行の終焉


1720年のマルセイユのペストが終焉すると、ヨーロッパの先進的な地域は自分たちはペストの流行を脱したと感じたと同時に、ヨーロッパの周縁にある地域はまだペストを実際に経験し、その危険に直面していると捉えていた。実際、ロシアでは1760年代に、エジプトでは1830年代に実際に流行を経験した。19世紀の中葉には、フィクションや想像の範囲でもペストは大きく広がり、小説や日々の想像で大きな影響を与えた。1840年に刊行されたマンツォーニの『いいなづけ』は、17世紀のミラノのペストを背景にしたロマン主義の小説の大作である。1853ー54年にマデイラ島を訪れたイギリス女性は、周縁地では隔離収容所には数多くの患者が悲惨な状況がいるのではないかと想像していたが、静かな平穏な場所であったと記している。一方で、公衆衛生の歴史学においても、黒死病命名と研究が離陸をした。

このよう周縁地におけるペストの危険、フィクションと想像力におけるペスト、そして歴史学における過去のペストの研究は、19世紀の後半から20世紀の中葉にかけての第三次ペストの世界大流行を暗示している。