北川正惇(きたがわ・まさあつ)という昭和初期の慶應の医学部(泌尿器科)の教授が、「性的神経症」についてまとまった仕事をしているのをたまたま発見して、医学史研究者の一般教養として、ちょっと仕事を読んでみる。文献は、北川正惇「性的神経衰弱」林髞編『科学新講座―医学臨床編』(東京:万里閣、1942)、185-207.
この講座は、慶應の医学部の医者たちが中心になって執筆した、一般向け健康講座ものである。北川の性的神経症もの、林の導入のほかに、高野六郎が国民優生法の運用について本音をわかりやすく語っている文章があったり(おそらく、対談や談話をもとにしているのではないだろうか)、「渡来する伝染病」と題された、大東亜戦争の戦地や中国からマラリアや天然痘などが渡来することを心配して対策を講じた文章があったり、医学書ではあまり見かけない歯科系の話し(歯槽膿漏について)が載っていたり、ちょっと面白い構成になっている。
北川の「性的神経衰弱」は、昭和戦前期の「性の不安」を背景にした論考である。具体的には、夫が新婚初夜に性交をなしえず、それがもとで離婚にいたるなどの問題が取りざたされ、性に対する特に男性の不安が高まった問題と、自慰の害が声高に唱えられて、そのためにかつて自慰を行った男性が不安を感じて勃起不能になるなどの問題を背景にしている。言葉を換えると、性的神経衰弱は、男性の勃起不能や性交への不安(今の言葉で言うED)を総称した表現であった。北川は、これらにつけこんで性的神経衰弱を治療すると称する悪徳業者や商業主義に走る広告が、さらに青年の煩悶を生んでいると批判して、性的神経衰弱を正しく医学的に説明することを目指している。北川は、自慰それ自身はむしろ性的な機能を発育させるもので、悪いのはむしろ自慰を悪とする説であって、これが青年をいたずらに不安にして性的神経症に陥らせるのであるという。神経衰弱者は「自分を反省して何か悪い所はなかろうかと色眼鏡をかけて自分の体を眺めるから」、そこに色んな異常を認める。そして、この異常の感覚は、これを反復して気にかければかけるほど鋭敏になるから、次第にその異常感は高まり、また注意がそこに執着して離れがたくなるのである、という。また、北川は、フロイト派の解釈を「愚にもつかぬ架空的な独断的仮説」と一蹴している(ヒヤヒヤ)。
それはいいのだけれども、北川の論述には、たぶん100箇所以上の「伏字」がある。「自慰」も「性交」も「勃起」も伏字である。同じ性を論じたものでも、高野の優生法の解説で、男性の断種が性行為に影響しないと書くときの「性行為」は伏字になっていないのに。
・・・この記事は、Yahoo! ブログの「不適切投稿」の監視をかいくぐれるかなあ。