ユスティニアヌスのペスト

先日の記事で触れた、ユスティニアヌスのペストに関する最新の研究書にもう一度目を通す。 文献は、Little, Lester K., ed., Plague and the End of Antiquity: the Pandemic of 541-750 (Cambridge: Cambridge University Press, 2007).

541年にエジプトからコンスタンティノープルに広がったペストは、それから約2世紀にわたってヨーロッパの各地で大きな被害を出した。被害の範囲は、地中海沿岸地域ではほとんど被害が出ている。東はイラクのバスラにまで及んでいる。マルセイユからローヌ渓谷沿いにフランスの内陸まで及んでディジョンまで被害が出ているし、ナントやトゥールでも記録がある。イギリスは、ブリテン島のかなり北部にまで散発的な被害が及んでいるし、なんとアイルランドでも記録がある。この新しい疫病の地図は、ユスティニアヌスのペストを教えるときに普通使われる―私も使っていた―、ル=ロワ=ラデュリのモデル(そして、昨日の安田のモデル)を完全に書き換えている。

この論文は新しい地図を提供してくれるだけでなく、化石人骨の中に残されている病原体のDNA分析という新しい歴史疫学のツールを表舞台に登場させている。この手法が最初にペストに用いられたのは1998年で、マルセイユ分子生物学者たちが、マルセイユの隔離病院の墓から取られた人骨の歯の部分に、まごうかたなきペスト菌 (Yersinia pestis) のDNAの痕跡を見つけたのが最初である。それからいくつかの研究でこの方法は追認され、この書物でも、分子生物学がもつポテンシャルを高く評価している。それが、過去の病気の歴史を明らかにしてくれるのだから、使わない理由はない。しかし、まだわれわれの記憶に新しいDNA鑑定に基づく冤罪事件が実際に起きたのだから、注意しなければならないのはもちろんである。もう一つ、マンチェスターのRobert Sallares が、プロの(歴史疫学者の視点を存分に使って書いていた論文も面白かった。

このように、すごく理系なテクニックと、古典的な人文系の技法、たとえば、シリア語とかオリエント学の精髄を共存させている、学際的な疫病研究のお手本のような書物である。