ちょうどいい機会だから、ユスティニアヌスのペストについて、2年ほど前に出た一般向けの歴史書を読む。 文献は、Rosen, William, Justinian’s Flea: Plague, Empire, and the Birth of Europe (New York: Viking Penguin, 2007)この手の、アカデミックではないけれども、わりとしっかりしたリサーチに基づいた歴史の本を、英語ではpopular history といい、最近、とみに栄えている分野と聞いている。
きっと、この本を読んだどの書評者も書くだろう事実があって、私もそれを書かせてもらう(笑)。この本の著者は、大手の学術出版のマクミラン社で長いこと編集者をしていた人物で、想像するに、歴史学者が書く本の良い点・悪い点を知り尽くしているのだろう。たぶんそのせいで、筆者の文体は、私自身が真似をしたいとは思わないが、とてもいいと思う。細かい史実や科学的な事実をたくさん詳しく書いているわりには読みやすいし、登場人物について魅力的なエピソードを挿入したりして、生き生きとした記述になっている。また、これは科学的な部分だが、ペスト菌、ノミ、ネズミ、ヒトの間の関係の話は、私が読んだ事があるものの中では、一番面白く書いてあって、これから、授業で説明するときには、この説明を使おうと思っている。
ただ、ベテランの編集者が書いた本に不遜なことを言うようだけれども、実は、かなりはっきりとした欠点もある書物である。それは、書き方やスタイルの問題というより、構想の問題だと思う。乱暴に言うと、ユスティニアヌスのペストそのものに関するマテリアルが非常に少なく、それぞれのマテリアルはたっぷりと引用されているが、これだけでは一般向けの歴史書を一冊書くには到底たりない。それを、色々な地域や時代に関する背景的な記述をたくさん詰め込んで支えてるという構造になっている。ペストについての現代の科学が明らかにする知見も、その「詰め物」の一つになっているといえる。こういった詰め物でふくらませて、全体で400ページ近い本にしている。こういう書き方でいいのかなあ。
ちょっと専門的な話をすると、この本は、ユスティニアヌスのペストは、中央アジアではなく、アフリカのエチオピアの野生のげっ歯類の間で常在していたペストが、ナイル川を下って地中海とオリエントに侵入したものであるという立場をとっている。これは、プロコピウスの記述をそのまま読もうとするものである。この部分は説得力がある。もう一つは、中国にペストがあったかどうかという話である。中国ではっきりと分かっている最も古いペストの流行というのは意外に新しくて、18世紀の末になる。ユスティニアヌスのペストの時期に、中国でもペストがあったと主張する学者もいるし、この書物は反対の立場をとっている。(これは、ペストのアフリカ起源説を採ったことと関係ある。)