近代中国の人種理論


Dikoetter, Frank, The Discourse of Race in Modern China (London: Hurst & Company, 1992)
中国関連の歴史学者の仕事に文献学の長い伝統がいまでも生きていると感じることがある。論文や書物が、ある構成を持って組み立てられた議論を目指しているというより、研究者が読んだ資料の的確で有益なまとめを志向しているときである。日本医学史の古典でいうと、富士川游の大きな仕事である『日本医学史』『日本疾病史』がこれにあたる。悪く言えば資料の要約の羅列であって、歴史学科の博士論文として勧められることが少ない書き方だと思うけれども、そのような書物が非常に大きな役割を果たす名著となる場合もよくある。ニーダムの『中国の科学と文明』はこのスタイルだと私は思う。欧米にもこのような著作は少なくなく、シンガーの一連の著作、精神医学の歴史の Hunter & MacAlpineなどは資料の的確なまとめの適切な配列という方式を持っている。

なぜそんな話から始めたかというと、ディケターのこの書物は、英語圏の大学で書かれた博士論文であるが、当時の研究の状況を反映して、近代中国の人種理論をパノラマ的な形で展開している優れた著作だからである。古代や近世についての記述は少ないが、興味深い史実がまとめられているし、近代についても、「匂い」「髪の毛」「解剖学」「脳」などの節ごとにテキストや史実がまとめられていて有益である。少し動的な記述になるのは、やはり中国における人種理論が政治運動の脈絡で使われる部分であり、ここでは満州族の支配に対して漢民族の優越性を信じる議論と、当時の西欧諸国と日本による支配と侵略との関連で闘争性と帯びた議論になる部分である。

画像は、左が日本人をおとしめて描いたときの毛深い動物的な人間、右がしっぽがある動物的な人間である。中国の伝統的な異界人の描き方に沿っているという。