フランスの優生学的結婚相談

Schneider, William H., Quality and Quantity: The Quest for Biological Regeneration in Twentieth-Century France (Cambridge: Cambridge University Press, 1990)
フランスの優生学の歴史についてのスタンダードな書物をチェックする。特に結婚前の健康診断の部分の確認。緊急に必要だったので、2002年にpbk が現れた時に買って手元に置いておいたのがよかった。

第一次世界大戦にフランスは勝利したが、国力の消耗と膨大な若者の生命を犠牲にした勝利であり、優れた若者がごっそりと死亡したことに伴うフランスの将来の人口をどのように改善するかはきわめて重要な主題であった。フランス優生学会は1926年に「婚前健康診断」を議論し始める。これは、性病、酒精中毒、てんかんなどの遺伝性の病気にかかっていないことを健康診断によって証明しないかぎり結婚を認めないという法律の必要性を議論するものであった。特に梅毒に代表される性病にかかっていないかどうかを検査することは、さまざまな<遺伝性>の疾患に罹っているものを結婚からはじき出すという優生学的な効果があると期待された。しかし、この問題は、言うは易く行うは難しである。優生学者たちは、この問題について総論では賛成しながらも、具体的にはどのように実施できるのかという問題については議論百出の状態であった。性病を検査するためにはワッセルマン反応などの検査が開発されていたが、これは偽陽性・偽陰性のどちらも多く、非常に不安定な検査であった。男性と女性のどちらを検査するのか、理想的には両方をみるのか、医師の守秘義務の問題はどうなるのか、などの高い壁が存在した。特に彼らが心配したのが、世論の反対の問題であった。彼らは、人々は健康診断に反対すると思っていた。ところが、意外なことに、この問題についての反対はむしろ少なかった。婚前健康診断は風刺はされたけれども、人々にはこれについて受け入れる傾向があった。1930年代には優生学をめぐる激しい議論が生まれるが、この問題はフランスの優生学が最初に成功した「ネガティヴな」方法であった。

ちなみに、第一次世界大戦後のヨーロッパにおける優生学の進展について、大戦による膨大な死者の影響をなんとかしなければという圧力は、日本人から見た時に見落としがちなことである。フランスは約4000万の人口のうち150万人の兵士が死亡した。この兵士たちは、これから子供を作るはずの年齢階層の男性であったし、しかも、兵役が可能な健康な男性たちであった。正確な数字をいま持っていないけれども、20歳から40歳の男性のおそらく四分の一くらい、それも優生学的に言って上位の部分をごっそりと失ったのである。ヨーロッパの大戦参加国の多くは、前代未聞の人口学的な衝撃を受けており、政策によって人口を改善し増加しなければならないという圧力ははるかに高かった。これは同じ大戦で415人の死者しか出さなかった日本が経験しなかった圧力であった。