夢野久作「少女地獄」と優生学的血液検査

夢野久作「少女地獄」
少女を主人公にした探偵小説の中編を3つ集めた『処女地獄』という作品に、血液検査による処女判定という小道具が用いられているのでチェックした。血液検査で処女を判定しようという発想が、もともとはどこの誰から出てきて夢野久作に至ったのかは調べていないが、戦前の探偵・猟奇などの世界ではきっと有名だったことと思う。私が読んだ範囲でも浅田一が得々と書いている。

夢野の話では、人格者とされている県立高女の校長が、学校の廃屋のような納屋で人違いをして女学生を犯し、女学生はそれを秘密にしておくが、他の理由で血液検査をされて、男を知っていることが明らかになるというストーリーの小道具として使われる。先日血液検査をした先生はオーストリーの大学にいってそれを学んできたと書かれている。

処女検査の話は、優生学と社会衛生の議論の中で、結婚の前に医師の証明書をもらい、相手に感染する病気、母子感染で胎児にも遺伝する病気、あるいは遺伝する病気にかかっていないことを証明してから結婚するようにしようという議論の中から出てきたのだと思う。これはもちろん女性運動家から見ると、夫となる男性が売春を通じて梅毒に感染することへの不潔感であり、それを妻に感染させることへの怒りの表現であった。同時期のフェミニズム優生学とプライヴァシーへの医学による侵入に賛成していた理由の一つは、文化的・社会的・習慣的に夫との間の力関係が不均衡になっているのを、医学による検査を通じて是正しようという意図である。以前に一度書いたが、私はいわさきちひろの夫が結婚した直後からちひろに蛇蝎のように嫌われて最終的には自殺した理由は、ちひろの夫の梅毒罹患ではないか、それを知ったちひろが、夫婦の関係についての正義感と病気に対する嫌悪感を組み合わせて激しい憎しみを持つようになったのかなという仮説である。誰も相手にしてくれないので、もう一度書いておく(笑)

梅毒を検査するのと同じ血液検査による処女検査という発想は、男性の側の意図を反映しているのだろう。日本の場合は嫁にもらう家の側の意図でもあっただろう。文化的に処女そのものが重んじられたことも事実であるし、出生した子供が本当に夫の子供であるかどうかという不安、他の男と性交してすぐに別の男と結婚したのではにかという懸念を晴らすという意味もあるだろう。婚前の健康検査をめぐる男性と女性の意図のぶつかり合いという形があったと考えていいのだろうか。