内村「アイヌの潜伏梅毒について」

内村祐之・秋元波留夫・石橋俊実・渡辺栄市「アイヌの潜伏梅毒と神経梅毒(アイヌの精神病学的研究 第2報)」『精神神経学雑誌』42(1938), no.11, 811-848.
内村によるアイヌの精神医学研究の一つであり、クレペリンの帝国精神医学の関心が最も鮮明に表現された論文である。

クレペリンが死の直前に発表した最後の論文は、神経梅毒と人種の関係を対象にしたものであった。19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、進行麻痺の原因が梅毒にあることが明確にされると、梅毒に感染して発病するもののうち、どのくらいが進行麻痺などの神経梅毒を患うかという問いが浮かび上がった。進行麻痺はもともと鮮明な症状を持っているし、梅毒への感染を「客観的に」示すワッセルマン反応も利用できるようになっていた。

アイヌにおいて梅毒が最初に発見されたのは1800年前後である。19世紀の末から20世紀の初頭においては、明確な症状の現れがある「顕性梅毒」が非常に多いことが医者たちによって報告されていた。おそらく和人からアイヌに梅毒が侵入し、それが蔓延して発病して大きな被害が出た時期であった。しかし、昭和9年から11年にかけて内村たちが行った検査では、それとはまったく違った梅毒の姿が明らかになった。それは、ワッセルマンなどの血清反応を通じて調べることができる梅毒に感染している割合が非常に高いにもかかわらず、実際に症状として現れた症例は少ない、その中でも進行麻痺などの神経梅毒のかたちをとるものは割合として少ないということである。内地や北海道の和人においては、梅毒の感染率は10%内外であるが、アイヌにおいては、この数字は30%から40%という非常に高い数値を示す。GPIなどの神経梅毒は確かに存在するが、これが数的に言うと意外に少ない。

この所見は、クレペリンの帝国精神医学以降に焦点となった一つの重要な問題、すなわち文化が低い民族における梅毒の現れ方の違いと関係がある。たとえばボスニヤ人、アルジェリア人、マレー人、南アフリカのトランスヴァール人、そしてモンゴル人などの研究は、文化的に未発達の民族においては、梅毒の罹患率が高いにもかかわらず、進行麻痺が現れないという事実が報告された。アイヌにおいて観察されたことは、アイヌにおいても進行麻痺が存在し、彼らが進行麻痺に対して完全な免疫を持っていないということと同時に、その病型が現れる度合いが低いという、この枠組みに合う発見でもあった。

感染症の歴史を研究において、人文社会系の歴史学の研究者は、「感染するから隔離した」という主題を取り上げることが多い。その通りであって、その主題の枠に当てはまる重要な現象は確かに存在した。しかし、細菌学にせよほかの感染症を扱う学問にせよ、20世紀のごく初頭から、それよりも複雑な現象が学問的な関心の中心になっていることも事実である。健康保菌者が隔離監禁された例は、「タイフォイドのメアリー」をはじめ、確かに存在する。しかし、それと並行して、健康保菌者が本当に感染症を起こす同じ可能性があるのかという問題は、常に議論されており、日本では健康保菌者の隔離については否定的な見解が取られたという印象を私は持っている。(リサーチはしていないけれども。)梅毒や結核についても、それがどのように発病するのかという問題は、人種や性や移民や生活の型などの社会におけるさまざまな問題に結び付けて議論されていた。ハンセン病についても同じことが言えるだろう。感染症対策の歴史において、隔離したかどうかという問題は、当時の人々が持っていた関心の一つであって、唯一の重要な論点であったわけではない。