『江戸の性病』

必要があって、日本の梅毒についての書物を読む。文献は、苅谷春郎『江戸の性病』(東京:三一書房、1993)

エピソード的な医学史に少し膨らみを与えた書物である。一次資料はともかく、二次資料や研究文献も、日本語文献と日本語訳がある医学史系の文献だけだから、ヒストリオグラフィの貧困は目につく。しかし、リサーチは広く行われており、エピソード的に多様な事実を手軽に学ぶことができる、私には役に立った書物である。

「江戸の性病」であるから、遊郭における遊女の性病が一つの柱になる。面白い点を二つ。第一に遊女のキャリアと人生が、梅毒の進行と並行して進んだこと。遊女が仕事をはじめて梅毒に感染すると頭髪が抜け落ちるが、これを鷹の羽が抜け落ちるのにたとえて「鳥屋(とや)」につくといった。鳥屋についたのちに梅毒が潜伏するので、免疫を獲得したようなものだと理解されていた。さらに潜伏すると、華やかな遊郭の世界を追われて私娼となり、深川の野原の夜の闇で患部が見えないようにして営業するようになる。最終的には廃人となって死んでいく。成功も転落も、まさしく梅毒とともに歩く人生ではないか。

もう一つの点は、江戸などの大都市で参勤交代の侍が感染すると、すぐに街道筋や国元に広まるというメカニズムである。説得力があるけれども、本当なのかな。

江戸川柳の紹介も面白かった。梅毒の症状が「鼻が落ちる」ことで象徴されていたこと、山帰来という薬が盛んに言及されていた。この薬は医療産業の一つの柱であり、18世紀末にオランダから水銀による駆梅療法が導入されたことは、おそらく治療革命を起こしたのだろう。(治療革命云々は私の勝手な思い込みです。)江戸の笠森稲荷(=瘡守)の話も面白かった。一番歴史研究らしいのは、江戸ではなくて横浜の検梅の歴史をたどった第五章だった。

でも、その章でイギリスが提唱してその医師の任命権をしばらく握っていた横浜の検梅病院がLock Hospital と呼ばれていたことに対し、それは鍵をかけた強制収容所のようなものであったと書いているのは、いけない。娼妓を検査するときに実際に鍵をかけたという事実、そしてその病院が娼妓の人権に配慮しなかったという結論を言いたいために引きずられてしまった誤解だと思う。英語では、性病患者用に作られた病院のことを、ふつうにLock Hospital という。もとはといえばらい病患者の収容院だった病院を使ったらしいが、その語源はよくわからないらしい。