市民社会の性病コントロール



新着雑誌から。スカンジナヴィア諸国の性病コントロールを比較した論文を読む。文献はBlom, Ida, “Fighting Venereal Diseases: Scandinavian Legislation c.1800 to c1950”, Medical History, 50(2006), 209-234.

Peter Baldwin のContagion and the State in Europe (1999) は、今後少なくとも20年間は決定的な影響力を持つことが確実な大著である。コレラと天然痘と梅毒のコントロールを、ヨーロッパの主要な国をすべてカバーして高い理論的な水準で分析している。(ほぼ同時に似たような本を出版した学者は不運だった。)この論文は、ボールドウィンの枠組みと手法を用いて、スカンジナヴィア諸国の梅毒対策の重なりと違いを論じた、いわばボールドウィンの大著への長い注釈である。

梅毒対策といえば、フランスの梅毒検査をパスした娼婦を公認の娼婦館に集めるシステムが有名である。1864年にイギリスで似たようなシステムの Contagious Diseases Act が立法されたときに、ジョゼフィン・バトラーを中心に、女性だけが梅毒コントロールの対象になるのかという嵐のような反対が巻き起こり、フェミニズム思想の発展と組織化に大きな役割を果たしたことも有名である。ボールドウィンとこの論文が紹介しているスウェーデンなどの梅毒対策のパターンは、特定のグループ(たとえば娼婦)に責任を負わせるのでなく、梅毒を届出制にして(!)市民全体の責任として感染症をコントロールすることだという。中世以来のらい病(この文脈では、歴史的な正確さを優先してハンセン病とは言いませんのでご了承ください)やペスト以来の「追放」「隔離」「検疫」のシステムとちがう、非分割的な感染症コントロールである。

ポリティックスと感染症コントロールのスタイルの違いという、アッカークネヒトの古典的な論文以来の主題が、洗練されアジェンダを変えて復活している。私はまだ読んでいないが、ボールドウィンの新作Disease and Democracy: Industrial Counties Face AIDS (Berkeley: University of California Press, 2005)は、この視点でAIDSを扱ったものである。

 画像は、20世紀のアメリカの二つの性病キャンペーンポスター、一つは梅毒と淋病、もうひとつはAIDS 非分割的な性病対策への移行を簡潔にまとめている。NLMの資料から作成した。