優生学とモダニズム

Turda, Marius, Modernism and Eugenics (Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2010)
優生学の歴史の研究は、それをナチズムを軸にして捉える観方から離脱したあと、それ以外の国における優生学の研究と国際比較へと急速に拡大した。このヒストリオグラフィの中で現れた日本語の書物が、2000年に講談社現代新書から出た米本昌平・市野川容孝・島次郎・松原洋子の『優生学と人間社会-生命科学の世紀はどこへ向かうのか』である。米本の「脱ナチスと生命倫理の問題系」の提起を出発点に、ドイツだけでなく、イギリス、アメリカ、フランスに日本を加えるという形をとり、日本の大学が言語的に強い英米仏においては研究の力があることを示した。まだ日本では難しそうなのが、中欧・東欧への優生学の普及を検証して国際比較の中に位置づけた研究であり、この書物の著者の Marius Turda は、中欧と東欧の優生学の歴史を英語圏に知らしめた第一人者である。この書物は、中欧・東欧の研究というよりも、ヨーロッパ・アメリカ全体の現象として優生学をとらえ、その中でモダニズムと優生学の不可分性を論じている。もちろん、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカに加えて、中欧・東欧の事例が豊富に盛り込まれており、特に第一次世界大戦の後にできた新しい独立国における優生学が論じられるあたりは Turda の独壇場になっている。

Turda が「モダニズム」と呼ぶ現象は、表記がちょっと厄介で、衒学的なようだがmodenism と表記したほうがいいのかもしれない。日本語で「モダニズム」と書くときには、主として芸術運動についていう表記であり、英語で Modernism というと、話は芸術に限らず、文化や社会一般について過去との断絶とラディカルな革新を唱える立場を指す。(少なくとも私はそう理解している)Turda がここで modernism というのは、当時の芸術に表現されている伝統との断絶と革新と同じように、社会においても根源的な革新が必要であるという思想であり、それを医学・生物学の原理に従って実行しようという考えである。生物学の原理にかなった国家・社会への介入により、国民は健康と優生になり、国家は革新され新生される。この医学生物学的な国民の新生のモデルを Turdaはmodernism と呼び、この思想の中核には、生理学・血清学・免疫学・遺伝学などと絡み合って優生学が存在していたことを論じる。