感染症をもう一つ。こちらはスミソニアン博物館からのメールで、中世のイングランドの黒死病に関しての記事。 国際的な考古学の雑誌である Antiquity に掲載された論文である。
人骨の考古学と病理学を組み合わせるのは、比較的新しい方法で、医学史研究者の記憶の中では、14世紀の黒死病がペストであるという方向を決定的に論証した方法であった。この論文は、もちろん考古病理学の方法を使って、年代を決定し、ペストの病跡を確定している。面白いのは、これまで都市部での埋葬ばかりであったが、農村でも考古病理学を用いた研究ができることを示していることである。それに加えて、人骨の配列や並べ方などを解釈する非常に面白い視点を使っている。埋葬されている人骨が非常に多数であり、数十点であることは、もちろん大打撃だったことを示している。使っている英語は catastrophe である。それと同時に、その多数の人骨がかなりきちんと並べられている様子は、埋葬が秩序を維持していることを意味する。ヨーロッパに黒死病が襲い掛かり、都市も農村も非常に大規模の死者が出て、葬儀が行われ、数多くの人骨が埋葬されていく。その中に秩序があるというのは、ヨーロッパの文化の一つの明るい部分であると思う。日本では人骨の扱いがやはり違う。ことに、白骨死体というと、野に放置され、風雨や陽光にさらされた「死」と強くつながっている。それとは違う形の「人骨」のイメージが黒死病に存在した。