ネアンデルタール人について学者たちが合意していることを知ろうとしたけれども、それは私が理解できる形では提示されていない。しかし、日本の考古学者が書いたネアンデルタール人の人骨に関する話がめちゃくちゃ面白い。
日本人の考古学者がヨーロッパの考古学者と違うのは、人骨に対する態度である。日本の考古学者は人骨に関するエピソードをほとんど紹介しないが、ヨーロッパの考古学では人骨が非常に重要である。ヨーロッパの医学史の世界でも、遡及的な診断という形で、古代の人骨の死因を調べるし、中世や近世の人骨に残されている組織を見たりする。日本ではこの領域が非常に弱い。理由は日本では人骨があまり残らないか、現在のお墓を開いて人骨を調べることがかなり難しいからである。この原因は、旧石器時代に関していうと、ローム層と石灰岩の違いである。日本の考古学者が扱う旧石器時代の地質はローム層は弱酸性で、その物質によって人骨や動物の骨が腐食されて失われるからである。一方ヨーロッパの旧石器時代の考古学が研究している時期は、Loess と呼ばれ、氷期の石灰岩から吹き上げられたものの中に人骨や動物の骨が保存されやすい。
著者の小野先生も、主題のネアンデルタール人も、その舞台であるネアンデルタールも、いずれもとても面白い。読んでみると随所に学者ならではの間違いが楽しく書いてあってとてもいい。ネアンデルタール人の人骨は1856年に偶然発見された。その地域は、ネアンデル卿という貴族が所有していて、峻厳な山と厳しい谷が神々しさと芸術性を産み、ドイツ・ロマン主義の芸術家たちが訪れていたという。しかし、同じ時期に産業革命と石灰岩の採取も進んでいて、労働者たちが掘っている途中で見つかったという。そこで人骨は集められて大切にされた。ところが、19世紀の採石の中でどこだったのかわからなくなってしまい、数多くある洞窟のどこなのかが分からなくなってしまった。しかし、1997年にある地域で発見された人骨が、その人骨の大腿から腰のあたりとぴたりとあう新たな断片が発見された。150年ぶりに、どの洞窟かわかったという。それは「ネアンデルタール洞窟」ではなく、小フェルトオーファー洞窟であった。なんてこった(笑)ついでに面白いことを書くと、ネアンデルタール洞窟のあたりには、フェルトホーファー・キルヒェという地名が出てきて、これを読むと多くの人が、フェルトホーファー教会がそこにあると思うが、実は、そこにあるのはフェルトホーファー・キルヒェという名称の洞窟なのである。なんだそれは(笑)Roppongi の六本の木はどこか教えてくれと外国人に尋ねられるのとほぼ同じである(笑)
写真は山と谷に感動するドイツ・ロマン派たち。これと産業革命がもろに重なるとか、すごく面白い。