アイヌ頭骨の損傷の原因

植木哲也「児玉作左衛門のアイヌ頭骨発掘」(1)-(3) 『苫小牧駒澤大学紀要』no.14, 2005, 1-27;『苫小牧駒澤大学紀要』no.15, 2006, 119-152; 『苫小牧駒澤大学紀要』no.16, 2006, 1-36.

連作論文の(3)で論じられているのが、アイヌ人骨にある割合で発見された損傷の問題である。この損傷の割合は、地域によって違うが、10%台から30%台の頭骨に見られた。これは、なぜ損傷されたのか、人為的なものだとしたら、誰が、どのようにしてつけたのかという問題であった。頭骨に開いた・開けられた開口は、ヨーロッパの医学者・人類学者にとっても興味の対象であり、アイヌの遺骨にしばしばそのような損傷があることも、すぐに注目の対象になった。日本の研究者のあいだでは、小金井と清野が正反対の見解を示していた。小金井は、これは和人がアイヌの墓をあばき、頭蓋骨を割って脳髄を取って梅毒の薬を求めたという説を立てた。清野は、アイヌ自身が埋葬の前に行ったことであるとした。児玉は、これはアイヌに残存している原始的な信仰の産物であり、巫術によって秘薬を死体の各所に求めた行為の証拠であると結論した。損傷がどれだけ頻繁にみられるかを、継時的に見ると近年の遺骨には損傷が少なく、空間的に見ると和人との交渉が早く始まったところにおいては損傷が少ない。このようなことを論拠にして、文明化の進展とともに消えていくアイヌの原始性の記号であった。つまり、児玉は、自分がまさしく求めていた目的そのものである、消えていくアイヌ特有の文化の記号の収集・研究・保存の枠組みの中に、頭骨の損傷を位置づけたことになる。

この論文には、話自体がまるでミステリーのように面白い部分がある。それは、児玉が、北大を退官した後に、死の直前にアイヌの頭骨の損傷はアイヌが行った行為であるという考えを変えて、動物が埋葬した死体を齧ったものであるという考えに切り替えた部分を語る部分である。この死の直前の変節の背後にあるのは、児玉の息子で北大教授であった児玉謙次である。おそらくその息子の助言に基づいて、死の直前に児玉は自分の原稿に大急ぎで手を入れ、旧い自説を撤回して新たな説を挿入した原稿を書いて出版した。児玉の娘は、これを知っていたのか知らなかったのか、死後にも旧説に基づいた原稿を再刊したが、息子の方は、亡父の新説の原稿を再刊するといった乱れもあった。いや、この部分は、話自体が面白かったです。