メチニコフの『近代医学の建設者』

 同じ出張中の飛行機の中で、メチニコフの医学史小品を読む。『近代医学の建設者』宮村定男訳(岩波文庫、1968) 

 第一次世界大戦中の戦時体制で、若い研究者は動員され、実験動物の飼育施設は食糧増産に振り向けられたので、パリのパストゥール研究所は開店休業の状態になった。することがなくなったメチニコフは、細菌学の黎明期を若い学徒のために記すことにした。主役の英雄はもちろんパストゥール。脇役には誠実で紳士的なリスターと、不愉快な人物だけど重要な科学的な発見をしたコッホを配している。メチニコフは若い頃コッホに面会したときに、倣岸不遜なコッホと、彼に媚びへつらう弟子たちにきわめて冷淡な仕打ちを受けたという経緯がある。そういう事情があって、しかも書き手がメチニコフなら(笑)、中立客観的で深みがある「良い」歴史のわけがない。コッホの炭疽病の業績はフランスの先駆者の前にかすみ、彼のツベルクリンの大失敗は嬉しそうに詳述されている。先日取り上げたクライフの『微生物の狩人』では、そのエピソードは暗示されていただけなのに。クライフといい、メチニコフといい、岩波文庫の細菌学ものの翻訳は、いわゆる岩波らしからぬ「あくが強い」ものが多いのかも。

 しかし、パストゥールとリービヒの論争を解説した部分は、さすがメチニコフだなと思う。パストゥールの発見が、科学理論の上だけでなく、当時の常識にとってどれだけ革命的だったかということを、簡潔に言い当てている。 パストゥールにとって、 腐敗は死のしるしではなくて、生命のしるしになったというくだりである。ここから先は私の補足になるが、心臓の停止、瞳孔の拡大、死後硬直、と続く一連の死のしるしの中で(順序が間違っていたらごめんなさい)、腐敗こそはまぎれもない、究極の死のしるしであった。腐敗は有機物の分解であるとリービヒがいったとき、かたちあるものが崩れていくという、「死」の強固な常識的なイメージが、化学の概念に翻訳されていると言ってよい。これに較べた時、パスtゥールの発想がどれだけ革命的だったことか。腐敗は腐敗した組織の死であると同時に、新しい生命の誕生でもあるのであるのだから。