メチニコフの近代医学観と結核・ハンセン病

メチニコフ『近代医学の建設者』(岩波文庫
メチニコフは白血球の発見で著名な科学者である。もとはロシアのウクライナの生まれで、オデッサ大学で仕事をしていたが、1888年にパリのパストゥール研究所に移った。第一次世界大戦がはじまって、研究所が休業状態になったときにできた自由な時間を利用して書いたのがこの書物である。全体の主題は、細菌学革命をパストゥール、リスター、コッホに着目して説いた記述である。この三者に対するメチニコフの評価は、パストゥールとリスターは大いに称揚し、コッホについては、その業績は認めながらもその欠点や失敗もあげつらっている。たとえば、結核のツベルクリンの失敗や、二流の女優に熱を上げて夫人を離婚して二回目の結婚をしたことなども、長々と書いている。これは、戦争におけるドイツとの敵対や、メチニコフ自身が若いころの業績をコッホに侮辱的な仕方であしらわれたという経験が関係ある。

このように、ドイツとコッホに対して敵意が潜んだ記述をしているが、メチニコフはドイツとフランスの双方にまたがったものとして細菌学研究を捉えていると考えられる部分がある。「ジフテリー血清は近代医学の勝利である」という文章を書いた後に、ドイツ=コッホ派に属するベーリングとレフレルの仕事と、フランス=パストゥール派のルー、エルザン、そしてパストゥールの動物実験の仕事が組み合わされ融合されてジフテリー血清が作られたさまを描いている。ジフテリア血清は、「科学に国境はない」という、理想として語られ続けると同時に、実際に守られることがあまりに少なかった理念にとって好都合であった。

もうひとつ重要なポイントが、メチニコフが考えた結核とハンセン病の予防のパラダイムである。ワクチンで感染症を予防するというと、しばしば人工的な方法であると考えられがちであるが、実は、そもそもから「生態学的な」発想が常にあったことは近年の研究が改めて強調していることである。パストゥールのワクチンの基本が「弱毒化した病原体」であることは、病原体が毒性を変えて複数の種類があることを象徴しているし、そのお手本になっていたジェンナーの種痘という方法が、天然痘ウィルスと牛痘ウィルスという寄生者が一方にいて、牛とミルク絞り女という被寄生者がもう一方にいるエコシステムを操作することであった。

このパラダイムに忠実に、メチニコフは、結核はこのエコシステムの操作によって減少するだろうし、ハンセン病が中世から近世にかけて減少したのは、このような事実が起きたからだと考える。「病気は起こさないが、強毒性の結核菌に対しワクチンの作用を演じることができる菌がありそうに思われる。パストゥールの実験により炭疽病に対しては人為的に減毒して予防し得たが、それと同じことが自然界には、ある種の結核菌の自然的の弱毒化によって生じているに違いない。このような想像説は、結核の対策の今日無効なのにかかわらず、多くの地方に見られる結核の減少する事実を説明するであろう」という。ハンセン病は中世には全ヨーロッパに広がっていたが、今日では、ロシア、ドイツ、ノルウェー、フランスその他の辺鄙な場所にしか残っていない。これは、衛生施設によるものではなくて、「人間の意志が加わらずに、自然に行われたものである。この原因は、おそらく癩菌と類似し、癩に対して生体にワクチンとして有効に作用したある着んの存在によるものであろう」と推測している。じっさい、ニューカレドニアでは、フランス人医師たちは、自然に減毒化したハンセン氏菌と考えられるものを発見していたとメチニコフはいう。