環境史・研究のレヴュー

必要があって、環境史の研究動向を紹介した論文を読む。文献は、McNeill, J.R., “Observations on the Nature and Culture of Environmental History”, History and Theory, 42(2003), 5-43.

数十年か前であれば、歴史学者が「環境」を語るときには、環境運動に影響されて、ある種の社会的な使命感が感じられたのではないだろうか。私がだいぶ前に読んだ本で言えば、キャロライン・マーチャントの『自然の死』などは、環境運動とフェミニズムを交差させたものだから、二重の使命感がページにあふれていた。しかし、歴史学者というのは、総じて冷静な(「鈍重な」という人もいるかもしれない・・・笑)生き物で、使命感に触発されたシンプルな視点を本能的に警戒する。2003年に書かれたこの研究のまとめは、使命感や、西洋の哲学なり資本主義なりを断罪する熱っぽい口吻は感じられない。「汚染物質は煙になって国境を越えるし、野生の渡り鳥も国境を越えるが、環境史の研究者は、なかなか彼らについていかない」というような台詞にいたっては、ほとんど「とぼけている」と言ってもいい。私自身は、こういう口調に学問領域の成熟の印を感じるが、こういう「余裕がある」書き方だと、若い研究者の熱意をひきつけるのは難しいのかもしれない。特に、この筆者が、フランスと並んで環境史研究が低調な二つの国の一つとしてあげている日本の場合、情熱的な書き方が受けるのかもしれない。