「医学史の過去・現在・未来」(草稿05a) 医学史の未来―広さ・深さ・まとまり

「医学史の過去・現在・未来」という文章の最後の部分、「医学史の未来」を論じる部分です。文章の性格上、アジビラに近い性質を持たざるを得ない箇所です。とても書くのが難しく感じました。引用はまだしないでください。 コメントやご意見がありましたらよろしくお願いします。

 

医学史の未来―広さ・深さ・まとまり

 

 前節<医学史研究の現在>で概観した状況は、欧米でも日本でも過去の一世代に急速に発展したものであり、同様の傾向がしばらくの間は継続するだろう。その発展の中で、とりわけ意識して取り組まなければならないのは、「広さ」「深さ」「まとまり」の三つのキーワードで表現される課題である。

 近年の医学史は「広さ」を獲得して、かつての医学史研究に較べて多様な学問領域で研究されるようになった。この意味での「広さ」の進展はこれからも続き、さらに多くの領域に及ぶだろう。現在すでに始まっている障碍学・環境学・リスク論・災害学・物語論などの領域における医学史研究は重要な成果を生むであろうし、現在では思いつかないような領域においても、独創的な仕事が現れるだろう。もう一つの意味での「広さ」の拡大は、国際的な研究の広がりである。グローバライゼーションの現代において、学者が国境と母国語の限定を超えて活躍することは標準的になっており、医学史も例外ではない。すでに言及した栗山茂久、ヒロ・ヒライ、サチコ・クスカワや、アヤ・ホメイ(マンチェスター大学)らは、外国に拠点をおく日本出身の研究者であるし、日本に拠点をおく研究者においても、外国語で重要な研究を発表することは目標として受け入れられている。また、日本から世界へという方向とは逆向きの流れ、すなわち外国人の学者が日本を対象として医学史を研究することも、欧米や東アジアを中心に確実に拡大している。アメリカのAnn JannettaWilliam JonstonAlexander Bay, Brett Walker などの著作は、種痘、結核脚気などの重要な主題についての最善の書物である。台湾や韓国においては、帝国主義医療の文脈で飯島渉や愼蒼健によるネットワークが、中国においては松村高夫が軸となった731部隊の細菌戦と人体実験についての研究ネットワークが存在する。これらを軸にして、医学史の国際的な広がりはこれから拡大し続けることを念頭においた研究と教育が必要である。

 「広さ」に加えて「深さ」も医学史の発展にとっていっそう必要になってくる。新しい医学史が現在まで発展するときに、ミシェル・フーコーを筆頭にした学者たちが与えた理論的な「深さ」は大きな貢献をした。そのような議論や分析における深さという問題は、医学史研究者の数的な拡大によってある程度カバーされるという性格がある。研究者の数が増えると、ある主題についての異なった解釈が衝突し融合するようになって、総じて研究は深化する。近世の医学、明治の公衆衛生、ハンセン病などの研究の進展はその道筋をたどった。しかし、「深さ」を達成するためにより重要な課題、おそらくもっとも真剣に取り組まなければならない課題は、歴史研究としての医学史の生命線である史料の問題である。史料の発見・整理・アクセスの確保・情報の共有が、欧米の医学史研究の急速な発展を支えたインフラ整備であった。そのようなインフラを利用して、欧米の医学史は利用可能な資料に関する膨大な情報が流れる領域にさまがわりした。医学史の発展期が同時にインターネットの拡大期であったことは意義深い。たしかに、かつての医学史研究においても、著名な医学者の著作を中心に資料の刊行・復刻は行われていたが、近年の情報化社会においては、比べ物にならないほどの量のさまざまなタイプの資料が利用・閲覧できるようになっている。このような資料は各地で発見されて、地域の図書館・文書館・博物館などで保存・整備されたうえで、それらの資料についての情報が学会のニューズレターで研究者に紹介される。イギリスではウェルカム医学史図書館や社会医学史学会、アメリカでは国立医学図書館歴史部門やアメリカ医学史学会が、資料の情報を研究者に紹介する役割を果たしている。このことが、イギリスやアメリカで医学史研究が深化して洗練された歴史学となった最大の要因であるといっても過言ではない。日本においても、このような動きの萌芽は存在している。前述のハンセン病資料や、橋本明らによる精神医療の資料の探索・発見・整理・情報の共有がその例であるし、日本アーカイブズ学会は2013年に<医療をめぐるアーカイブズ>という特集を組んで医療資料への関心を明瞭にした。このような動きをどこまで具体化し拡大し定着できるかが医学史の未来を大きく左右するだろう。

最後に「まとまり」について触れよう。医学史研究は多様性を持つ領域になったことをこの小論は論じてきた。このこと自体は喜ばしいことである。しかし、欧米諸国や台湾・韓国などの東アジアの医学史の先進地域と日本の状況を較べたときに、この小論が多様性と呼んだものは、断片性と呼ぶほうがより適切な場合もあることも冷厳な事実である。日本においては、研究者がそれぞれの領域で閉鎖的に研究しているため、同じ主題や類似の主題に関する別の領域の研究成果と連関しないままでいることがあまりに多い。日本では研究者の連関が作られていないのである。イギリスやアメリカにおいては、この連関を形作ったのは、既存の研究体制を支えてきた医学史の研究機関や学会が変質・拡大することであった。英米の医学史は多様性を推奨すると同時に、その多様性共存して出会う仕掛けを常に機能させてきており、具体的にはウェルカム医学史研究所やアメリカ医学史学会がその機能を果たしてきた。翻って日本を見たときに、日本の医学史の既存の体制はこれに匹敵する役割を果たしていない。日本医史学会のいくつかの革新の試みはまだ結実していないし、関西の医学史研究会はいちじるしく弱体化した。そもそも、<医学史の現在>で紹介した新しい医学史の研究者の大多数は、日本医史学会を研究発表の場としていないし、会員ですらない場合が多い。それに較べると、日本科学史学会は金森修、松原洋子、愼蒼健などを中心に、新しい医学史と比較的深い関係を築いてきたが、その関係は医学史の一部に限られており、情報を共有して多様な医学史をまとめる活動は管見が及ぶ範囲では行われていない。どこが、どのようにして医学史研究をまとめるのかという問題は、近い未来における日本の医学史研究の体制を決める一つの焦点になるであろう。

このように、日本の医学史の未来には、解決の試みがはじめられたばかりの問題が多い。しかし、この小論の筆者は、その未来について基本的にはオプティミスティックな見解を持っている。それは、研究者の数的拡大と高い能力と情熱という事実にとどまらず、現代社会における医療の未来の問題と深くかかわっている。医療が科学技術の発展だけによって進歩し改善するという信念は、先進国においては過去のものになった。それにかわって欧米で定着し日本でも形成されている新しい信念は、医療を社会的な現象と捉え、医療者と患者が環境・文化・社会の中で営む行為全体を向上させることが「医療の進歩」という考えであろう。そのような意味の医療の進歩には、新しい医学史研究が必須であることは言うまでもない。時代の風は、世界においても日本においても、医学史の未来に向かって吹いている。この風を見分けて、現実を見据えたうえで的確な帆を張り、広い文脈と長いタイムスパンの中で医療の姿を明らかにすること。このような医学史には確実に未来が開けている。私たちにとっての課題は、どのような姿にこの新しい医学史を仕立て上げるかということであろう。