『ビーグル号航海記』

 必要があって、ダーウィンの『ビーグル号航海記』を読む。上中下三巻本で岩波文庫から島地威雄の翻訳が出ている。

 ダーウィンが『ビーグル号』で立ち寄ったガラパゴス諸島は、現代科学思想の聖地といっても良い。甲羅を見せるとどの島のカメかを当てることができるゾウガメの話や、「連続的に変化するくちばしを持った」フィンチがそれぞれの島に分布している話を知らない人はいないだろう。私は見たことがないが、NHKなどの番組でも何度も紹介されているらしい。意外に『ビーグル号』のほかの部分に何が書いてあるか知らないことにふと気がついて、出張の半端な時間に読んでみた。 もちろん博物学の本だから博物学上の報告に満ちている。私は鳥の博物学を読むのがとても好きだけど、それを話し出すと長くなるので、他のことを。

 まずロマンティックな記述が満載の紀行文である。例えば次の文章。
 
「バイア、ブラジル、2月29日。この日は楽しく過ごした。しかし生まれて初めて、ひとりでブラジルの森林を逍遥した博物学者の感じをあらわすのに、たのしくという言葉は弱すぎる。草のしなやかなこと、寄生植物の珍奇なこと、あらゆる花の美しさ、葉のつややかな緑、またとりわけて、植物が一般に豊穣なことは驚嘆でいっぱいになってしまった。きわめて逆説的なほど、音と沈黙との調和が森の陰の暗い辺にみちている。虫の音はきわめて高く、海浜から数百ヤードのかなたに錨を下ろした船にも聞こえたが、森の奥には静寂があらゆるものを支配していることを感ずる。」

 同じくバイアにて、次の文章。

「この日は終日、フンボルトがしばしば引用した<うすい水蒸気は空気の透明度を変化させないで、空気の色を一層調和てきなものとし、またその効果を柔らかにする>という語に特に打たれた。これは温帯にいた時には、かつて見られなかった景色であった。半マイルから四分の三マイルの近い空間をへだてて眺めた大気は、全く透明であるが、それより遠いところは、淡いフレンチグレーに少し青みがかかった、この上もなく美しい霞の中に、あらゆる色が入り混じっていた。」

 あるいは、文明批評も満載である。例えば次の文章。不愉快なニュージーランド人に嫌味を言わなければならない時のために、憶えておくといいかも。

「午後、我々はシドニーへの航途につき、アイランズ湾外に出た。一同ニュージーランドを出ることを喜んでいるようであった。ここは気持ちのよい土地ではなかった。土人の間には、タヒティで見た可憐な単純さがみられず、在留イギリス人の大部分は、まさに社会の屑である。この地方そのものにも、心をひくものはなかった。」

 ニュージーランド観光局がダーウィン全集を出すとしたら、この部分を削除して闇に葬り去ることは間違いないだろう。あるいはオーストラリアについて次の文章はどうだろう?

「人々を外見だけは正直そうに見せかける手段としては、歴史におそらく比類のない程度に成功したものである。」

 ・・・なにも、そこまで言わなくても・・・ (笑) 

NHKで長谷川真理子先生が出てきて説明するダーウィンも一つのダーウィンであることはもちろんである。しかし、ここで抜粋したダーウィンも、それと少なくとも同じくらい重要なダーウィンの側面である。