『フランケンシュタイン』

 必要があって、出張先の半端な時間で『フランケンシュタイン』を読む。森下弓子訳・新藤純子解説(東京:創元推理文庫、1984)話のあらすじを知らない人はいないだろうけど、自分の頭の中を整理するために。

 幸福な少年・青年時代を過ごしたフランケンシュタイン(以下F)は、大学で自然科学を学び、人間や動物の死体の切れ端を集め、それに電気を通して生命を吹き込む。怪物の誕生である。(このあたりは科学史と生命倫理学にとっての「名所」なんだろう)Fのもとから脱走した怪物は、生活の中で知恵を身につけ、人間を観察する中で言葉と道徳感情を学ぶ。(同じく、思想史の名所)怪物は人間を友にしたいと願うが、その醜怪な姿ゆえに拒まれ、深く傷ついて、自分の造り主のFに復讐しようという念を持つ。(差別論の名所)怪物はFの弟を殺し、その罪を女中になすりつけ、Fに面会して自分の伴侶を造るように要求する。煩悶の末にいったんは承知したFだが、そのおぞましさについにこの作業を放棄する。Fをつけていた怪物はこの背信を知って復讐の念に燃え、Fの友人を殺し、Fの婚礼の初夜に花嫁を殺す。弟と友人と花嫁を殺されたFは、怪物と立場を入れ替えるようにして怪物に復讐を誓う。(ドッペルゲンガー論の名所)逃げる怪物を追ってヨーロッパの辺境の無人の荒野の追跡行はついに北極の氷の海原まで至る。衰弱しきった状態で探検船に救出されたFは、船長に上の物語を追えて息を引き取り、その場に現れた怪物も自分の造り手の死を見届けて氷山の中に消えていく。・・・書いていて思ったのだけれども、これほど多様な視点の<名所>に満ちた書物も珍しいかもしれない・・・ 

 英文学者の間では常識なのだろうけど、今回読んで初めて気づいたことを。この小説のかなりの部分は「旅行記」「紀行文学」である。アルプスの山の中とかイギリスのヒースの野とか、オークニー諸島の小島とか、荒涼とした地をあちこち移動し、印象的な風景描写をはさみながら話が進んでいく。小説の展開にとって邪魔じゃないかと思えるほど、主人公たちはあちこちと旅行をしている。 

 つまり、マッドサイエンティストが築いた閉じられた世界の話ではなく、むしろ反対に、文明の辺境を経巡るようにして進行する話だということなのだろうか。 ものすごく強引に話をもっていくと、1818年の狂気の科学者は、まだ閉じ込められていないということなのかしら。