反抗/弱いものいじめとしての老人批判



老いの歴史について、古代バビロニアから16世紀までの歴史を読む。文献はジョルジュ・ミノワ『老いの歴史』大野朗子・菅原恵美子訳(東京:筑摩書房、1996)。

 ボーヴォワールは、老いの歴史を書くことは不可能だと考えたが、本書はボーヴォワールが間違っていたことを見事に証明している―という推薦の言葉で本書は始まっている。推薦の言葉だから仕方がないが、この評価にはかなりの誇張が含まれている。たしかに優れた書物であるし、幾つかの非常に重要な手がかりを与えてくれる。しかし例えばアリエスの<死の歴史>だとかコルバンの<においの歴史>にあたる傑作とは、だいぶ距離がある。全体としては、ボーヴォワールの書物と同じ、老いの歴史のアンソロジーと考えたほうがいい。色々な老いに対するある時代のコメントにちょっと分析を加えて、それを「多様性」という便利だけれども空疎な概念でまとめている章が多い。

 しかし幾つかの読み応えがある章があったことも確かである。ローマ時代を扱った章も良かったけれども、やはり筆者の専門に近い中世から初期近代が良かった。ペストは1348年以降ヨーロッパを波状に襲い続けたが、老人が犠牲になることは相対的に少なかった。(なぜだろう?)その結果、高齢者が人口に占める割合が上昇した。若者たちにとっては、社会における重要な地位は老人たちによって占められ、結婚適齢期の娘たちは金も地位もある老人たちによって奪われてしまっていた。14・15世紀は激しい世代抗争の時代となり、若い妻を持つ老人は情け容赦なく諷刺された。ルネッサンスの若く美しく力強い宮廷人の理想は、この世代抗争における若者イデオロギーの勝利であった。

 ミノワの洞察の中で、老いの「醜さ」に対する攻撃は、強いものへの反抗である場合もあり、弱いものいじめであることもある、というのはためになる。

画像は魔女や「死の舞踏」のエロティックでグロテスクな表現で名高いハンス・バルドゥング・グリーンの「女の三つの年齢と死」「女の七つの年齢」-これはどちらも弱いものいじめとしか言えないですよね。