瀬戸内寂聴『花芯』

 出張の新幹線の中で瀬戸内寂聴『花芯』を読む。この二、三年、瀬戸内寂聴の『源氏物語』を拾い読みしては、いいなあと思うことが多かった。そんなときに、寂聴訳の源氏物語の朗読のCDを近く出される朗読家のあきこさんのブログで、この作品を教えられて読んでみた。

あきこさんのブログはこちらです http://blogs.yahoo.co.jp/robanomimi_a

 表題作の他に、「いろ」「ざくろ」「女子大生・曲愛玲」「聖衣」の短編を収めた講談社文庫。いかにも小うるさい学者が言いそうなことを最初に書いて申し訳ないけれども、講談社文庫は、それそれの短編の初出の年などの書誌的な情報を記すのを止めたのだろうか?この作品がいつ書かれたということだけでも書いてあると、現代作家だと、その時に自分は何をしていたかを想像できる、とても貴重な情報なのだけれども。ちなみに「花芯」が発表されたときには私はまだ生まれていなかった。

 女主人公の<性>がテーマの短編が集められているが、私には、表題作「花芯」が一番面白かった。社会の常識や道徳と、自分の身体と性とのあいだに存在する<すれちがいの感覚>を抱えながら生きる女主人公である園子が、不良少女―幸福な妻―夫の上司との不倫―高級娼婦という経緯をたどるというストーリーである。園子の夫というのが、秀才にして社会的成功者、幸福な家庭を代弁する男である。教科書どおりに語られる、愛の言葉、純潔礼賛、家庭の幸福の賛美。つくりものの真似事の優しさ。抜け抜けと吐かれる、歯が浮くような台詞。理想的な「新しい男性」のパロディである。教科書にそう書いてあれば、妻が髪型を変えたり特別なお化粧をしたりすると、即座に気がついて褒めまくりそうな男、というと分かりやすいだろう。 こういう男が「良い男」なのかという問題については、ヴァレンタインの頃、おとぼけ女医さん vs realmedicine さんと私の同盟軍という形で、若干の論争があった(笑)。 

 この、作り物であること以外には非の打ち所がない優しい夫が、新しく流行した道徳を象徴しているとすれば、女主人公は、身体と性と自己を象徴している。彼女は、妻でも母も娘でもなく、子宮を持った一個の身体であり、その身体と密接に結びついている一個の精神である。その身体と精神が、夫が象徴する道徳と社会に適合することを拒否することが、主なテーマである。この時期、身体とエロティシズムは、社会的・政治的な抵抗の拠点としてエスタブリッシュされていたんだなあと実感する。もちろん、霊魂と禁欲が抵抗の拠点としてエスタブリッシュされていた時代もあったけれども。