腰痛の闘病記

 ぎっくり腰のほうは、ゆっくりとだけれどもおかげさまで大分よくなって、ジョギングまでできるようになりました。だからというわけではないけれども、授業の準備も兼ねて夏樹静子『私の腰痛放浪記』を読む。これが、たいそう面白かった。 

 有名なミステリー作家の夏樹静子が、1993年から3年以上にわたって原因不明の腰痛に苦しんでいた時の記録である。リアルタイムで書かれた部分と、事後的に書かれた部分が混在しているけれども、そこはプロのミステリー作家だから、事実と、当時の感想と、回想してから与えた意味を区別して読めるようになっている。彼女の腰痛は極めて重篤で、これを読むと自分が腰痛だとか書いたことが恥ずかしくなる。苦痛で息もできなくなり、息をすると「針で刺したように全身に響いて、息を止めるしかない」ほどだったという。しかもその痛みが長びいて三年以上にわたる。その間、彼女は地元の福岡や仕事で訪れた東京や他の街で、あらゆる療法を試す。九州大学の医学部や心理学科の先生に診てもらったり、評判が良い鍼灸士、あるいは建礼門院の霊を祓ってくれた人など、文字通りあらゆる種類の療法である。河合隼雄に電話で相談したこともあったという。

 次々と失敗する治療法の果てしない連鎖に終止符を打ったのは、入院した南熱海温泉病院で受けた治療であった。ここでの記録、そして彼女の主治医であった平木という医師との対話が、最も量も多く、描写も迫真的で丁寧なものになっている。そして、プロの作家の醒めた目は、彼女を腰痛地獄から救った医師の姿を、真摯な感謝の意を込めながらも、客観的に描き出している。平木医師は、夏樹の腰痛は心因性のものだと断言する。心因でないとすると、これまでの治療法が聞いたはずではいかという説得法である。入院してむしろ病状が悪化しようと、夏樹が怒ろうとも、彼の自信は微動だにしない。そして夏樹の自我が揺らいだ時を見計らって、最もドラスティックな心理療法を施す。「夏樹静子という存在を葬る」(平木の言葉どおりである)ことを夏樹に提案するのだ。作家としての夏樹という人格がこの腰痛の原因であり、一介の主婦(出光静子)に戻れば、腰痛は消えるというのだ。それに納得した夏樹は、「夏樹静子のお葬式」を出す。(これはお葬式ではなく、最終的にはその人格を平木医師に預けるという形になったが。)そして、夏樹という人格を平木に預けて退院した夏樹-出光静子というべきか-の腰痛は、うそのように治るのである。

 腰痛を治すためにあなたの人格を捨てろという平木医師の治療方針は、医療倫理の論客たちの賛否両論渦が巻くところであろう。平木医師が正しいとか間違っているとか、そういうことを判断する資格はもちろん私にはない。現代の心療内科系の医師たちが、正しいとか間違っているとか、そういうことにそもそも興味があるのか私にはわからないけれども、彼らの間でもきっと意見が分かれるだろう。私が歴史家として言いたいのは、平木医師の治療は、ロボトミーのそれと非常によく似ていることである。「患者からの抗議にも微動だにしない<科学的な>確信を持って、不可逆的な人格改変を行おうとした治療」といえば、どの医学史家もロボトミーを思い出すだろう。平木医師の治療を、心理療法のロボトミーである。

 誤解がないように言っておくと、私は平木医師を貶めようとしてこう書いているのではない。・・・と書くほうが論議を呼ぶと思うけど(笑)、今回はスルーしてくださいますか。