必要があって、医療の多元性の歴史の古典的な研究書を読む。文献は、Ramsey, Matthew, Professional and Popular Medicine in France, 1770-1830: the Social World of Medical Practice (Cambridge: Cambridge University Press, 1988).
同書は、これまで正規の医者だけに注目してきた医学史の範囲を大きく拡大して、非正規の医療者を含むある社会の医療のシステム全体を研究する領域を作り出したパイオニア的な研究書。正規の医者(この中にも内科医、外科医、健康官などの階層的な序列があった)のほかに、巡回いかさま薬売り、骨接ぎ、魔術師などが医療を行っていることが容認・黙認されていたフランスの地方部の資料を読んだ膨大なリサーチに基づいている。医療の多元性の中で、正規の医療と非正規のそれを理解しなければ、両者の特徴を把握することができないということを歴史家たちに教えた一冊である。第六章でフランスだけでなくヨーロッパ・非ヨーロッパ諸国を含めた大きなパターンのようなものを描こうとしていて、これが色々な意味で参考になる。特に面白いのが、医療の姿と都市―地方の関係についての洞察である。正規の医療を、都市を中心に営まれる各々の時代の高水準の文化・制度の産物であると捉え、非正規の医療を、都市と地方を結ぶ活動として捉える視点は、インスピレーションに富む。
いま進めている研究についてブログで書くと、プライオリティがどうのこうのというアドヴァイスをしばらく前に知人から貰って以来、このブログで自分のリサーチの話をするのはずっと控えてきたけれども、久しぶりにリサーチの話題を一つだけ。
前に読んだときには気がつかなかったが、巻末に付された1830年代のフランスの県ごとの医師・外科医数というのに目が釘付けになった。これはパリを除いた数字だが、最高は高地ピレンヌの一万人あたり14.38人、最低はフィニステールの1.62人。 1875年の日本について、だいたいこれに対応する医師数の値が分かっていて、最高は東京の17.7人、最低は岩手の5.6人 (ちなみに平成8年の数字は、最高が東京の26.9人、最低が埼玉の11.4人) 1830年代のフランスの81の行政区と1875年の日本のデータが判っている36の県について分散係数を取ってみると、前者は0.470, 後者は0.305 となる。だいたい予想はしていたけれども、明治初期の日本の医師の分布の地方格差は、ほぼ同時代のフランスよりずっと小さい。