コレラ送りの小競り合い

コレラ文献の山から、東京庶民生活史の古典を読む。文献は、小木新造『東京庶民生活史研究』(東京:日本放送出版協会、1979)。

2章8節「病気と医療にみる東京時代」を読んだ。短くて逸話的ではあるが、公文書の広い渉猟から得られた医療史についての豊かな情報を含んでいる。その中でも「使える」情報が、「コレラ送り」をめぐる隣接する村の間の対立で、有名な話だけれども書いておく。

 江戸時代の「村」は、さまざまな活動の基本的な単位であって、流行病に対する儀礼的な対応もその一つであった。疫病の神は、村の外に追い出したりするものであった。ここで当然出てくる疑問は、疫病を押し付けられた隣の村はどう対応したのかということである。どの程度一般的かどうかは分らないけれども、明治12年の大流行に際して、大体予想した通りの史実が記録されている。南葛飾郡中平井村の若者が、コレラの祈祷のために、上小松川村正福寺にある経櫃をかつぎだして、コレラを送れ、隣村へ送れ、オークレおくれと囃し立てて村内を回っていたが、隣村の下平井村の者が聞きつけて、こっちからも送り返してやろうと鎮守のやしろより二人持ちという獅子頭をかついでやってきて、同じようにコレラを送れ、隣村へ送れと叫びあるいたので、村同士の大喧嘩に発展しそうになった、という話である。