未読山の中から、19世紀の輸血の歴史を読む。文献は、Pelis, Kim, “Blood Standards and Failed Fluids: Clinic, Lab, and Transfusion Solutions in London, 1868-1916”, History of Science, 39(2001), 185-213.
19世紀の前半のイギリスでは、輸血という操作について二つの特徴を挙げることができる。1) 産科医たちが出産後に出血多量で衰弱した産婦を救うことにほぼ限られていた。 2)輸血するのは血液でなければならない、それも人間の血液が最も望ましいと考えられていた。1880年以降には、この二つの特徴は急速に失われ、違う輸血の概念が現れた。それを象徴するのはロンドンの医学校の産科医のC.E. Jenningsが1883年に出版した輸血に関する本である。そこでジェニングスは、これまでの血液重視から、塩水のほうがよいと主張するに至った。この背後には、当時の生理学的な実験によって、酸素が体内に取り込まれるなどの生命の根幹は、血液そのものの中ではなく、血液が流れる組織の中で起きることが証明され、血液はそれまで占めていた生命そのものであるという特権的でユニークな地位を奪われて、「代替できる液体」という地位を与えられるようになったことがある。
このように、入手も扱いも安全性の確保(梅毒感染など)も非常に手がかかる人間の血液から、塩水が輸血(っていうのだろうか?)の中心になることで、輸血は飛躍的に広まった。折しも「消毒」が大規模な外科手術を可能にし、医者による治療行為そのものが大量の出血を伴うケースが劇的に増えてきた。これに伴い、これまで産科に限定されていた輸血が、外科一般に広まるようになった。
塩水だけではうまくいかず、「粘度」も重要であることがわかって20世紀の初頭にはアラビアゴム溶液が試されるが、第一次大戦後、再びイギリスの輸血は人血へと帰っていったが、この部分はこの論文には書いていない。